※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

戦後80年の節目に、戦争について考えるシリーズ「たどる記憶つなぐ平和」です。2回目の今回は、与那国島の沖縄戦について取り上げます。

与那国島で最高峰の宇良部岳。旧日本軍は頂上に監視所を置き、空襲も受けています。与那国では今、自衛隊が拠点化を進めていますが、防衛省は宇良部岳に監視装置の設置を計画していることも明らかになりました。

80年前と今の共通点を探っていきます。

与那国町史記述「最高峰・宇良部岳に向かって手を合わせて拝む」「ここが神の道の入り口であるため、神に神の通り道にはいる許しを乞うのである」

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

与那国島で一番高い、標高231メートルの宇良部岳。信仰の対象でもあったほか、与那国富士と島の人々に呼ばれ、親しまれてきました。

旧日本海軍は、太平洋戦争が始まった1941年、監視拠点を山の頂上近くに設置。台湾や沖縄を結ぶ船の中継地点だった与那国は、軍事上の要衝にもなり、1944年ごろから、島ではアメリカ軍などの空襲が行われるようになります。

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

請舛秀雄さん「宇良部山に電探から通信、機関室みんなあった」

2010年、QABのカメラにこう語っていたのは、当時見張り所で兵士として監視を続けていた、請舛秀雄さん。見張り所は、米軍の標的になったといいます。

請舛秀雄さん「B24が来て、東から西に向かって兵舎に弾を撃つかというところだったが、自分たちは伏せて、一回バタッとやったが、一人は2階から怖いと言って下に降りる途中に、やられて戦死」「戦争は国のため、いろいろあったが。生きて帰らないくらいの決心だったが運がよかった」

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

大田静男さん「南からやってくる米軍の飛行機をキャッチされないようにするためにも、(米軍からすれば)宇良部岳の施設は、目障りでしょうね。だから攻撃しないといけない」「だから戦闘が始まってすぐ、宇良部の施設は攻撃されているでしょう」

一方、こう語るのは、八重山の郷土史の研究を続けてきた、大田静男さん。

大田静男さん「これはアメリカの公文書館から直接」

大田さんが示したのは、1944年の10・10空襲の直後にアメリカ軍が作成した南西諸島周辺の地図です。

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

大田静男さん「10・10空襲があって米軍は偵察機を飛ばして、南西諸島全域の島々にある軍の施設、港湾とかを調べ上げた」「すでに宇良部岳には、レーダー見張り所、無線施設があると書いてある」「施設があるところはみんな把握している」「そういうところは攻撃されたら、小さい島ではどうしようもないんじゃないの」

木原防衛大臣(当時)「与那国島の宇良部岳に、映像監視装置を設置するための調整を進めているというのは事実」

去年7月、会見でこう明かした、当時の木原防衛大臣。

木原防衛大臣(当時)「わが国の南西方面の警戒監視態勢を一層強化する必要がある」

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

防衛上の空白を埋めるとして、2016年に陸上自衛隊の駐屯地が置かれた与那国。台湾有事の懸念も背景に、自衛隊の活動が活発になる中、80年前と同じように、宇良部岳を監視拠点にする計画も浮上しました。

防衛省は山頂付近の鉄塔などをすでに取得。ことし3月までに映像監視装置を設置し、駐屯地に映像を送るものとみられます。

大田さんは、80年前と比べて、こう語りました。

大田静男さん「80年前と同じ考えでこういうものを設置するのは」「地形の関係でそうならざるを得ないかもしれないが」「そういうことをやっても無駄ですということ」「宇良部の根拠地隊の海軍の兵隊だってわずかなもので」「大砲を撃って、戦闘機と交戦したかというと、そんなことはない」「今はミサイルを置いて交戦するというんだけど、そんなことやってもそこに数発撃ち込まれると大変なこと」「一切やめた方がいい」

たどる記憶 つなぐ平和 #2/沖縄戦と南西シフト/与那国島・宇良部岳/旧日本軍跡地に自衛隊が監視拠点

先島地域では、台湾有事も念頭に、九州への住民避難を行う構想も、浮上してきています。故郷を追われる懸念を、こう語ります。

大田静男さん「ガザやウクライナだって、がれきを取り除いて、復興させるためにどれだけの年月がかかるかと」「おそらく1世紀以上かかるんじゃないの」「故郷がそうなってしまう」「自分たちは九州に疎開している。帰れないとなると。そこに住むか」「そこだって危ない」「文化も自然も失ってしまったし」「棄民になっていくのかと」「国家としては国民の生命財産を守らないといけないというのは責任がある」「責任があるんだが、戦争を始めるために私たちの命があるわけではない」「どうすれば、平和的に物事を解決できるか知恵を出して考えないといけない」

80年前も、今も、海や空を見張り、軍事上の拠点とされてきた、国境の島、与那国。島々に根を張って生きる人々の、平和な暮らしを守るためにはどうするべきか。いまを、戦前にしないための方策が、問われています。