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首里城の再建を追いかける「復興のキセキ」です。今回は、平成・令和と30年の時を経て首里城のシンボルともいえる龍の制作に携わる男性の思いに迫ります。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「首里城で成長した人間が首里城で最後に成果を成し遂げるというのも悪くない人生なのかなと思う」

首里城のシンボル"大龍柱"に平成・令和と携わる職人

首里城と共に歩んできた職人がいます。伊計安さん。火災で焼失したいわゆる「平成の復元」では23歳もの若さで、現場に常駐する工事監理者として尽力。その後も北殿・南殿・奉神門などの工事に携わりました。今回の再建では石工事全般を任されている伊計さん。今取り組んでいるのは・・・

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「今は粗彫りを終えて詳細彫りに向けてもうちょっと粗い加工を進めているところ」

大・小阿吽の龍柱の制作です。

首里城のシンボル"大龍柱"に平成・令和と携わる職人

そもそも、首里城において「龍」は国王の象徴とされ、屋根の上柱装飾などいたるところにその姿がありました。特に、正殿の正面に並んで立つ「龍柱」は沖縄の石彫刻の最高傑作とされ、まさに首里城の顔ともいえる存在。また5年前の火災でも猛火を耐え、奇跡的に消失を免れたことから「復興のシンボル」でもあります。

今回新たに作られる龍の素材となるのは、平成同様「フルシ」と呼ばれる与那国産の石。大きさが4mほどにもなる大龍柱の原石探しは苦労したといいますが、ことし2月には加工がスタートしています。現在は大まかに形を整える粗彫りを終え「詳細彫り」の準備段階です。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「平成時は水糸を張って物差しで測って数値化していた。数値化したものを実際に彫るものに転記するというやり方だが今回CGを使うことで全てグリッド数値化できているので、こういったことが必要ない」

首里城のシンボル"大龍柱"に平成・令和と携わる職人

平成から令和へ。30年も経てば制作工程も変わります!今回は3Dスキャナーをつかい、データ化した図面をプロジェクターで石材に投影する最新の技術を導入。これにより、ポイントごとに彫り進める深さが数値化され、より安全に確実に作業できるようになりました。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「この鱗が向こうに流れているこういう形が違うみたい」

また、戦前に撮影された古い写真から龍の胴体に「ねじれ」が確認できることから平成時と比べて胴体部分がわずかに「ねじれることに」なりました。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「表現するときにはかなり注意しないといけないと思う、真っすぐ作っちゃうとアウトなんで」

首里城のシンボル"大龍柱"に平成・令和と携わる職人

より往時に近い正殿を再現しようと変化に柔軟に対応する伊計さん。ただ、時が流れても変わらないものがあると信じています。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「もちろん今スマホ時代だったりコンピュータ時代だったり便利なものばっかりなので前と違うが多分思いは変わらない」

「良いものを作りたい」職人の思いは変わらない。

だからこそ伊計さんは復興のシンボルである大龍柱の製作を若手に任せることにしました。主に加工を担当する3人のうち、2人は20代前半です。

首里城のシンボル"大龍柱"に平成・令和と携わる職人

大龍柱の加工を担当照屋壮馬さん(20)「なかなかできない経験、できないことだと思うので、首里城の現場に携われて光栄に思う」「先輩たちのアドバイスを聞きながら気を付けながら作業出来たら良い」

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「失敗は許されないが一番言えるのは彼らにものすごく自信がつくと思う。これを作れるということは多分県内探してもめったにないことなので」「仕上げに対する気持ちも自分の心が物に移るというのか、そういうことも見られてくるので楽しみにしている」

若手・ベテラン世代を超えて挑む龍柱の制作は、これからより繊細な作業が続いていきます。

平成・令和の復元に携わる伊計安さん「(火災前の)ある時の首里城に戻してあげたいと、それを見に来る方々のために戻してあげるのがうちらの仕事」「物に関しては平成時の龍と比べることができない。ただうちらが作っている龍がいいものだというものを目指して作りたいというだけ」

熱い思いをのせ、小龍柱は来年の春そして大龍柱は再来年の秋の完成予定です。