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沖縄戦研究の第一人者で2024年8月23日に亡くなった元沖縄国際大学教授の吉浜忍さんの告別式が、2024年8月28日那覇市でしめやかに営まれ多くの参列者が、別れを惜しみました。吉浜忍さんは、1949年、宮古郡伊良部村出身で高校の社会科教諭を勤めたあと沖縄国際大学の教授となり42年間にわたり平和教育に尽力してきました。

吉浜さんは、戦争の遺跡として全国で初めて沖縄陸軍病院南風原壕の公開に尽力したほか県の第32軍司令部壕保存・公開基本計画検討委員会の会長などを歴任、沖縄戦の継承に携わってきました。

2024年8月28日、那覇市の葬儀場で告別式が執り行われ、生前、吉浜さんと交流のあった関係者が参列しました。

南風原文化センター元館長・大城和喜さんは「(吉浜さんは)やるべきことやりました、やりたいことやりました言いたいこと言いました言うべきこと言いました、それを形にしました残念だけどご苦労さんとあなたは完全燃焼できたと私はお祈りしました」と話しました。

平和祈念資料館・普天間朝佳館長は「(沖縄は)抑止力や防衛力の強化ということで軍事化が進んでいるんですけども、今だからこそ沖縄戦の歴史と記憶に向き合わなければいけないと思う、その時にも吉浜先生の蓄積は大きな基盤になる大きなこれから力になっていくと思います」と話しました。

玉城知事は「気落ちすることなく吉浜先生のご遺志に応える形でしっかりと取組んでいくことが吉浜先生がこれからも見守ってくださる気持ちが繋がって行ければと思っています」と述べました。

喪主を務めたで吉浜さんの長男・新さんは「本人が一番悔しいと思っている。父の意思は仲間や研究者が継いでくれると信じています」と述べました。

参列した人たちは、多くの足跡を残した吉浜さんとの別れを惜しんでいました。