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太平洋戦争当時、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け、学童疎開船「対馬丸」が沈没した事件から2024年8月22日で80年です。那覇市の小桜の塔では慰霊祭が執り行われました。

太平洋戦争当時の1944年8月22日、学童疎開船「対馬丸」は沖縄から疎開先の九州に向かう途中、鹿児島県悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。乗船していた784人の子どもたちを含む、1484人が犠牲になりました。

8月22日、那覇市の小桜の塔で慰霊祭が執り行われ遺族関係者や玉城知事、自見沖縄担当大臣など400人以上が参列しました。

髙良政勝・代表理事は「対馬丸事件から今もなお海底深くに眠っている犠牲者、そして帰りを待ちわびていたご遺族の気持ちを考えると長すぎる時間が過ぎてしまいました」と述べました。

慰霊祭では、対馬丸の生存者で母と兄弟4人を亡くした宜志富紹心さんも足を運びました。宜志富紹心さんは「対馬丸の黒潮の中で親兄弟が亡くなっているさね、そのために・・・」と話しました。

孫の宜志富厚哉さんは「語りたくても語れないくらいの思いを背負ってきたオジーの必死になってきて生きてきたこの命を私たち子や孫が長生きとか楽しく生きる事が本当に命どぅ宝の意味かなと思います」と話しました。

宜志富紹心さんは「戦争はね、もうこりごり」と話しました。

また、対馬丸の遺族会は政府に対して、遺品収集などの水中調査を改めて実施するよう求めていて、自見大臣は、「必要な調査などを行うことができるよう、2025年度予算の概算要求に盛り込む方向で最終の調整をしている」と述べました。