太平洋戦争当時、学童疎開船「対馬丸」が敵の潜水艦から撃沈され、あすで80年です。CATCHYでは今日から2日間、「海に沈んだ子どもたち」と題した対馬丸の特集をお伝えします。初回の今日は、沖縄のこどもたちが、当時の学童疎開を追体験する取組みを取材しました。
沖縄に戦火の足跡が近づいていた1944年8月21日、沖縄から出航した学童疎開船対馬丸。児童を含む1788人を乗せ、疎開先の長崎へ向かいましたが、もう二度と、沖縄に戻る事はありませんでした。
対馬丸はトカラ列島・悪石島の北西およそ10kmの海上を航行中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。
身元が判明した犠牲者は1484人。そのおよそ半数以上にあたる784人が、まだ幼い児童たちでした。魚雷攻撃を受け、たった10分で沈没した対馬丸には、こどもたちの泣き叫ぶ声が、響いていたといいます。
あれから80年、対馬丸は、今も変わらず、深い・海の底に沈んだままです。
対馬丸記念会が主催する平和継承プログラム。当時の学童疎開をこどもたちに追体験してもらおうと、今回、県内の小学校に通う15人の子どもたちが参加しました。
知念由依さん「どうして戦争とか関係なかった子どもたちが巻き込まれて亡くなったのかとか多く犠牲になったこととか学びたいです」
池宮城陽道さん「自分の親戚が対馬丸事件で亡くなったというのを祖母から聞いてたけど、対馬丸記念館に名前がなくて。参加して対馬丸事件の事をもっと分かっていこうと思って参加しました」
一行がフェリーで向かうのは鹿児島県奄美大島対馬丸が沈没し、多くの犠牲者が流れ着いた土地を訪れ、人々と交流することで、対馬丸事件のことをより深く学ぶためです。
乗船後、熱心に本と向き合う、子どもたちの姿がありました。対馬丸の生存者の証言を振返ることで、事件について、より理解を深めようという試みです。
平良館長「思いを馳せるっていうのはそういうことですかね私たちが出来るのは。証言を元に想像してみるどんな風に助けられた、どんな様子だったという事を証言から拾い集めるという事しか、いま私たちは学ぶことが出来ないので」
高江洲晴さん「対馬丸はこれよりもっと遅かったからもっとたくさんの時間がかかったと思うし、魚雷攻撃された時もこの揺れ以上に揺れてるから、怖かったんだろうなと思いました」
儀間記者「海上での慰霊祭がはじまりました。対馬丸沈没から80年、こどもたちがその犠牲者に祈りを捧げています」
池宮城陽道さん「対馬丸事件の犠牲者の方々は帰る日も泊る場所も決まっていないと考えると親も子どももとても寂しさが強かったと思います」「僕はあの悲惨な事件の全てを知りません、でも少しでも多くの事を知りその知識を活かし、人に伝え武器をこの世界から消し、二度と戦争が起きず平和な世界を造れるように行動していきます」
この日、目的地の奄美大島に到着したのは出航から13時間以上が経過した、午後8時30分頃。あの日、対馬丸に乗っていた子どもたちが見たであろうこの漆黒の海を、みんなで一緒に、甲板から眺めました。
翌日、こども達が向かったのは奄美大島南西部に位置する宇検村。ここには対馬丸の犠牲者を追悼する慰霊碑が建てられています。
儀間記者「80年前、ここ宇検村の船越海岸には対馬丸に乗っていた多くの人々の遺体が が流れ着いたといいます」
あまりの無残さに、正気を保てず、焼酎を煽り、感覚を麻痺させながら 犠牲者を、一体一体、手厚く埋葬したという宇検村の人々。この悲劇を忘れてはならないと、多くの住民から要望を受け元田信有さんは、自身が村長だった2017年にこの場所に慰霊碑を建設しました。
元田さん「造るのが目的じゃなくて、この慰霊碑が建つことによって、その後どういう活動が出来るかというのが大事。地域のこどもたちにあの碑を見て、戦争の悲惨さを知ってこどもたちの平和教育のためにあれを役立てたい」
慰霊碑に込められた思いを知ったこどもたち。
城間桜さん「証言を伝えている人は、だんだん高齢化していて少なくなっている中でいま若い私たちが伝えられる事は後世に証言を伝えていくことだなと思いました」
この日の夜、子どもたちの前には対馬丸で実の兄を亡くした、守田アキさんの姿がありました。
守田アキさん「沖縄から内地に行けるって喜んで行ったのよ、対馬丸に乗るっていったら」
当時14歳だった守田さんの兄、秀雄さんは海軍を志すほど、船好きな少年でした。母やアキさんら兄弟も、別の船で疎開先に向かい秀雄さんとは熊本で落ち合う予定でしたが、対馬丸は、いつになっても到着しませんでした。
守田アキさん「濡れて寒いから、母ちゃん寒い寒いという夢ばっかしうちの母ちゃんが見てる。本人は船で亡くなっているからそいう風に夢に出てきている訳よね母ちゃんの」
この夢を見た後、アキさんの母は、吸わなかったタバコを吸うようになりどんどんやせ細っていったといいます。
守田アキさん「まさかね亡くなるとは思わないからね。みんな、あんたの話してるよ(天国の秀雄さんに向かって)」
三ツ橋明里さん「私は今まで生存者や奄美の人たちの気持ちになって考えてたんですけど(家族が)乗船して見送った人たち、そして家族が帰って来なかった人たちの気持ちも伝えて行けたらなと思います」
平良館長「現場に来た、夜の海を見た、(遺体が)流れ着いた海岸を見たということが頭に残ってる限り、大切な事を実感していくのではないかなと思ってます」
奄美の人々や遺族から受け継いだ対馬丸への思い…この経験を胸に、こどもたちは対馬丸沈没から80年という節目と、向き合います。
今回の平和継承プログラムでこどもたちが学んだことは来月行われる報告会で、発表されるということです。