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太平洋戦争当時、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け、学童疎開船「対馬丸」が沈没した事件から2024年で80年です。
対馬丸記念館では、8月20日乗っていた8人の遺影が、新たに追加されました。
太平洋戦争末期の1944年8月22日、学童疎開船「対馬丸」は沖縄から疎開先の九州に向かう途中、鹿児島県悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。乗船していた784人の子どもたちを含む、1484人が犠牲になりました。
8月20日、新たに遺影が追加されたのは学童疎開で乗船した佐敷安子さんや又吉嘉男さんら5人の子どもと一般疎開で乗船した眞喜志トシさんらあわせて8人で、立ち会った遺族や親族によって丁寧に掲示されました。
佐敷安子さんの親族は「うれしいというしか言いようがないですよね、今まで写真を掲示出来なかったということもあるので、何回もこちら来てますけど名前だけよりは、やはり写真もあるというのが一番良いことなのかなと感じました」と話しました。
掲示されている遺影の数は414人と全犠牲者のおよそ4分の1となっていて記念館では、更なる乗船者の遺影の提供を呼び掛けています。