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太平洋戦争中、アメリカ軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」について子どもたちに知ってもらおうという研修会が那覇市で始まりました。

80年前の1944年8月22日学童疎開船「対馬丸」は、1700人あまりを乗せて沖縄から九州に向かう途中、アメリカ軍の攻撃を受けて沈没し、学童748人を含む1484人が犠牲となりました。対馬丸の悲劇を知ることで、平和の尊さについて考えてもらおうと対馬丸記念会が企画した研修には、県内の小学5・6年生15人が参加しています。

2024年8月、奄美大島での本研修を前に那覇市の対馬丸記念館で行われた事前研修では、疎開船「対馬丸」の歴史について学びました。そして、当時4歳で家族と一緒に乗船し、両親ときょうだいの合わせて9人を亡くした高良政勝さんが、自身が体験したことを話すと参加者は、当時の子どもたちの身に起きたことについて思いを巡らせていました。

対馬丸記念会・高良政勝代表理事は「(父は)ずっと(私を)抱いて、そして救助船が来た時に渡したそうです。私を。私が引き上げられると、政勝は助かったということで、(間がある)沈んでしまったんですよ」と話しました。

参加した児童は「とても衝撃でちょっとぞわっと怖かったです」と話したました。参加した別の児童は「対馬丸に乗った子どもたちの気持ちを知りたいので、そのことについてこれから深く考えていきたいです」と話しました。

参加者は、2024年8月13日から3日間、対馬丸事件の生存者や犠牲者が流れ着いた奄美大島の宇検村を訪れ、学びを深めます。