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先月、プロバスケットボール・Bリーグで初めての日本一を達成した広島ドラゴンフライズ。その裏方として初制覇に貢献した県出身の「アシスタントマネージャー」は、元興南高校の球児でした。

Bリーグ・広島ドラゴンフライズでアシスタントマネージャーを務めていた、浦添市出身の諸見川航さん(25)。5月、Bリーグの「チャンピオンシップ」で琉球ゴールデンキングスを倒して優勝し、裏方として日本一に貢献。先日、母校の興南高校に野球部の我喜屋優監督への報告に訪れました。

諸見川航さん「何事にも苦しいことが人間って多い。それも含めて何もかも報われた瞬間。」

Bリーグ・広島ドラゴンフライズ初の日本一を影で支えた男

諸見川さんは興南高校野球部出身。長崎国際大学を卒業後、Bリーグ・広島ドラゴンフライズのアシスタントマネージャーとして2021年からチームに携わってきました。その仕事内容は、本人曰く「なんでも屋」。スケジュール管理や経営陣との調整などの事務作業に加え、練習のサポート、ユニフォームやタオルの洗濯、ボトル洗いなど、多岐にわたります。

諸見川航さん「高校の時は学生コーチ、マネージャーがいたので今になってその人たちへのありがたみを感じる。」

Bリーグ・広島ドラゴンフライズ初の日本一を影で支えた男

興南高校では、ピッチャーとして汗を流してきた諸見川さん。甲子園出場の夢はかないませんでしたが、3年間高校野球に打ち込んできた経験が今に生かされていると言います。

諸見川航さん「僕も最初は楽な方向に逃げる人間だった。口酸っぱく「逃げるな」と常に忍耐力の話をされていたので、一番忍耐力がついた。」

高校での苦しい練習を乗り越え、プロバスケチームで日本一をめざす過程の中で、我喜屋監督やコーチ陣の教えへの理解を徐々に深めていきました。

Bリーグ・広島ドラゴンフライズ初の日本一を影で支えた男

興南 我喜屋優監督「あの航が現役時代はちょっとしたミスで監督に何回も反復練習させられた。泣きながら一人で野球をやっていた。色々な苦労があったんだろうな。」

諸見川航さん「辛いことを率先してやることが将来強みになると思った。辛いことの方が多いと思うけど瞬間を体験した時にはやっていてよかったとポジティブな気持ちになっている。」

次のシーズンからはB1に復帰を果たした「滋賀レイクス」に移籍し、新たなキャリアをスタートさせます。

Bリーグ・広島ドラゴンフライズ初の日本一を影で支えた男

諸見川航さん「広島ドラゴンフライズで培ったことを滋賀レイクスに還元できればと思っているし、君が入ってよかったプラスになっていると結果で示したい。」

興南 我喜屋優監督「これで終わりじゃない。ぐっとよろこびをかみしめてもう一回自分自身根っこづくりから始まって。この人に相談すれば大丈夫だという雰囲気になってほしい。」

興南野球部での経験、そしてプロバスケットボールチームで達成した日本一の経験を生かし、さらなる活躍をめざして来シーズンに向かいます。