慰霊の日のきのう、沖縄戦で亡くなった人々を弔う慰霊祭が県内各地で執り行われ、鎮魂と平和への祈りに包まれました。
ひめゆり学徒隊沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒たち約240人が看護要員などで動員され136人が亡くなる。
「奪われた青春時代」
同窓生 翁長安子さん「二度とあのような恐ろしい戦争が沖縄に起こりませんように冥土から守ってちょうだいと、あなた方のおかげで79年間も平和で暮らすことができたからみなさんのように犠牲者を出さないためにも平和の守り神となって下さいとお願いしました」
慰霊祭、同窓生や遺族など約190人が参列。
同窓生 翁長安子さん「若い方々も無関心にならないで、やはり今日の過ごし方はみんな家庭で話し合ってほしいと思う何のための慰霊の日かということをね」
糸数アブチラガマ。沖縄戦当時、日本軍の陣地壕や野戦病院として使用されガマ内は住民や600人以上の負傷兵などで埋め尽くされた。
アブチラガマに家族と避難 知念周次郎さん(83)「(ガマは)自分らの家のような。このガマがなければ部落民も助からなかったと思う」
米軍の投降勧告に従って住民と負傷兵はガマを出る。
アブチラガマに家族と避難 知念利男さん(90)「戦争は人間が人間を殺しあいですから、これが早くなくなって平和な世の中になってもらいたい」
慰霊祭―糸数区の住民など約50人が参列。
白梅の塔 慰霊祭。
白梅継承の会 屋宜光徳 理事長「われわれは戦争のない平和な国を目指して一生懸命頑張りますのでどうぞ皆さん安らかにお眠り下さい」
白梅の塔沖縄戦で看護要員として駆り出され命を落とした県立第二高等女学校の学徒隊など149人が祀られている。
元白梅学徒隊 武村豊さん(95)「ここだけは是非とも私はいきたい息子にお願いしてきたんですけどよかったです」「すごく感動しました。みんなが静かに小さい子たちもきちんとやっていたので」
海鳴りの像 慰霊祭。
戦時遭難船舶遺族会 事務局長 大城敬人さん「あれから79年経った今日なお、海で犠牲になられた方々は冷たい海深くおかれたままです。遺骨収集は行われていません」
海鳴りの像。太平洋戦争で攻撃され沈んだ遭難船舶の犠牲者を追悼。対馬丸を除く25隻の船舶で犠牲になった県民は1900人あまり。
湖南丸で姉を亡くした 比嘉君子さん(85)「姉が亡くなった。私は女兄弟の五女なんですけど次女が亡くなってる。湖南丸で魚雷にやられて。だから骨も何もないんです」
姉は未だ深い海の底に。
湖南丸で姉を亡くした 比嘉君子さん(85)「平和であってほしい、平和であってほしいけど今、(自衛隊の)駐屯地がどんどん出来てくるから、また沖縄があの惨事にならないかなと思うんです」
一中健児之塔。
誓いの言葉 首里高校・長田悠暉(ながた・ゆうき)生徒会長「時間が違えば私たちがその立場に立っていたかもしれません。だからこそ、戦争を他人ごとだと思わない。二度と起こしてはいけないと心に刻むことが大切です」
一中健児之塔「鉄血勤皇隊」や「通信隊」として戦場に動員され犠牲になった県立第一中学校の生徒や職員307人を弔う。
当時一中3年生・沖縄戦の1年前に鹿児島に疎開 久高安進さん(95)「せっかくの青春を台無しにされた、無念の思いを受け継いで、残ったものが、二度と戦争を起こさないように後世の人に告げる責任があると思っています」
14歳から「兵士」として動員された。
祈りに包まれた沖縄。
お母さん「私のひいおばあちゃん、おじいちゃんが生きて命を繋いでくれたことに感謝して二度と戦争が起こらないように平和を思ってお祈りしました」
こども「戦争がなく、毎日過ごしたい」
戦後80年へ。