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シリーズでお伝えしている首里城の復興を追いかける「復興のキセキ」です。今月は、この人無くして再建は無しえないとさえ言われる平成から令和へ2度目の復元に挑むうちなーんちゅ建築士にスポットを当てます。取材を通して見えてきたのは、自分を育ててくれた先輩たちに思いを馳せながら今回の再建に臨んでいる姿でした。

建築士 平良啓さん「平成の復元の技術や考え方、その人たちの思いを引き継ぎながら令和の復元にバトンタッチして、また次の時代に走っていくというか、格好良すぎるけど」

平成から令和を駆ける一人の技術者がいます。この道半世紀の建築士・平良啓(たいら・ひろむ)さん。1986年~2019年の平成の「首里城復元」プロジェクトすべてに携わってきた「首里城のエキスパート」。令和の復元でも、設計を任されています。

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

建築士・平良啓さん「やはり首里城正殿というのはもう素晴らしい建物(50)沖縄中の建築技術・建築文化の粋を集めているし、そこに琉球王国時代、その後もいろんな歴史が充満している」

当時30代前半の若手建築士だった平良さんを含むプロジェクトのメンバーが目指したのは18世紀、琉球王国時代の首里城。

建築士 平良啓さん「最終目標は復元工事をスタートするための図面、実施設計図と言うが、それを作成しなければならない」

戦前の写真や聞き取り調査などを通してなんとかその姿を形にしようと奔走しました。

建築士・平良啓さん「古文書読まれたことあります?いわゆる崩し字、なんとか候(そうろう)とか、現代的な設計をしたらそんな古文書に出会うことはないが」

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

特に、求められていたのが復元の「根拠となる歴史資料」です。

建築士・平良啓さん「拝殿図は気づきます?間取りがない」

文化庁に所蔵されている昭和初期に正殿を解体・修理した際(1928~33年)の記録「拝殿図」残された図面から、正殿の規模や高さなどの知見は得られたものの、既に城としての機能はなく、肝心な間取りなどは分かりませんでした。

建築士・平良啓さん「この間取り、寸法記の間取りと拝殿図の図面はまさに合体する」

そんな時見つかったのが「寸法記」と呼ばれる古文書。各部屋の間取りを含め、正殿の内・外部が詳細に描かれた資料でした!

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

建築士・平良啓さん「いや~もう、いわゆるちむどんどん!本当に心臓がばくばくするぐらい感動した」

確かな復元の根拠を得て設計は完了、スタートした再建工事。当時の平良さんの「奮闘ぶり」を物語るあるものが残っています。

建築士 平良啓さん「今回はこのメモも読み返しながら、やっている」

設計士としてだけでなく、復元現場に常駐する監理技術者として何百回と関係者との打ち合わせを重ねたという平良さん。6冊のノートに「その記録」を書き記していました。

建築士 平良啓さん「これ陶片 焼物をどうやって留めるかとか鱗をどうするかとか、振り返るとそんな工法でやろうとしていたの?みたいなものもあるが」

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

当時の議論・考察の跡を読み取れる、通称「平良ノート」前回の復元の過程を伝える貴重な資料のひとつに位置付けられています。

建築士・平良啓さん「いろんな大先輩たちの声や顔が思い浮かばれる」

平成の復元プロジェクトの始動からおよそ40年。当時若手だった平良さんも、この道半世紀のベテランに。平良さんを育ててきたのは多くの先輩たちでした。

建築士・平良啓さん「結構多くの方が亡くなられた、完成して首里城の姿を見てその後亡くなった人もいるし、残念ながら完成間近にして亡くなった人もいたので」

建築士・平良啓さん「首里城正殿にはいろんな人々の人生が入っているというか背景にいろんな人々の人生があるかな」

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

建築士・平良啓さん「バトンタッチというのか、先人たちからずっとバトンをつなげながら令和の復元にきたと思う」「そこに私とか数名、平成復元に直接携わった人たちが参加してるのはすごく良かった」

平良さんは週に1~2回ほど作業の進捗などを確認するため、再建現場を訪れます。真剣な表情で会話を交わすのは、令和の正殿で総棟梁を務める宮大工・山本信幸さん。平成の復元で「副棟梁」を務め平良さん同様2度目の再建に挑むいわば「同志」です。

宮大工 山本信幸 総棟梁「30年前に一緒に腹を割ってできるというところはある たまにちょっと言いすぎたりするけど」「今まで得た知識・経験などを精一杯注ぎ込みたい」

建築家 平良啓さん「阿吽の呼吸で、あの時こうだったよねという共通の、言葉では表せないが共通のものがある」

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

2026年秋の完成に向けて一歩一歩着実に進む再建工事。

建築士 平良啓さん「まだ後2年あまりあるが1番大事な木造の骨格がこのようにできてきている、よくここまで来たと思う」「我々の世代だけじゃなく次の世代にまでずっと引き継がれていくわけだからみんなに愛されてほしい」

今月は屋根・軒回りなどの木工事が一段落し、来月からはいよいよ瓦工事や彩色工事が本格的に始まりますが平良さんが見つめるのはもう少し先の未来です。

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士

建築士 平良啓さん「最終的には焼失する前の本来の当時に近い建物群が再現されると一番県民としてうれしいが、これは随分まだ先ですかね。じっくりそれまで健康で生きとかないといけないね」

平成から令和へ、人々の思いとともに再建される首里城とともに、平良さんはこれからも走り続けます。

平良さんは、平成の復元が進み、正殿、北殿、南殿、奉神門、4つの建物が完成し琉球王朝時代の「御庭(うなー)」空間が再現できたときに建築士としての喜びを感じたそう。平成から令和へず~っと走り続けている平良さん同様、復元の現場も目まぐるしく変化しています。

今週月曜には、木工事も一段落、早いもので宮大工の作業は概ね8月までとなっています。来月以降、夏にかけて瓦工事・漆塗装が本格始動予定でこれからも再建の現場から目が離せません。

平成から令和へ 二度目の再建に挑むうちなーんちゅ建築士