シリーズでお伝えしている首里城再建を追いかける「復興のキセキ」です。
2026年秋に迫る完成を前に、木材を加工したり、瓦を焼いたりと…県内各地で復興に向けた動きが盛んになっていますが!再建の舞台は沖縄だけではありません。遠く離れた北陸地方・富山県でも首里城復元のため、汗を流す職人がいます。この道52年、確かな技術を持つ彫刻師がひと彫りひと彫りに込める思いを取材しました。
きりっと見開いた目、しなやかで今にも動き出しそうな龍に、流れるような雲。今月22日、正殿の顔ともいえる「唐破風の妻飾」の彫刻を粘土におこした模型が公開されました。制作したのは、彫刻師・砂田清定(すなだ・きよさだ)さんです。
砂田清定さん「沖縄の首里城は特別。微力ながら一生懸命やらしてもらおうと思っている」
玉城アナウンサー「見渡す限りの山々 富山県南砺市にやってきました」
富山県南西部に位置する南砺市。歴史的な風景が残る 世界遺産・相倉合掌造り集落に。江戸時代から木彫刻・木彫りを生産してきた「井波彫刻」で名高い「木彫り」の町としても知られます。砂田さんはこの土地で、職人として半世紀以上 彫刻と向き合ってきました。
砂田清定さん「沖縄の首里城をさせてもらえるとは全く思っていなかった。逆に言えばものすごくうれしかった。眠れなかった」
平成の復元では、2018年に完成した美福門の木彫を担当。確かな腕と経験から、令和の復元にも関わることになりました。
砂田清定さん「復元という仕事はどっちかと言うと自分の考えではそんなにない。いかに今までの方々が作ってきたものを、例えばタイムスリップするように沖縄の去年でもないその前でもなしに、もっと前からの人々の思いをいかにこちらが令和の人間がやれるかというところに思いがある」
今回、取り組む妻飾のベースとなるのは「平成の正殿」と、その後の研究で得た「新たな知見」です。
去年12月、沖縄を訪れ、焼失した妻飾をベースに大正時代に撮影された高精細な写真などを参考にして、彫刻の基礎となる「下絵」を作成。その後、富山に戻った砂田さんが取り掛かったのは、「木」彫りではなく…龍や火焔など、下絵で描いた細かな箇所を平面から立体へとおこす「粘土原型」づくりです。
砂田清定さん「木を一発で彫るというのもあるが、それをやると途中で迷いが出る人間だから。ここはもう少し上げた方がいい。下げた方がいいとか」
やり直しのきく粘土だからこそ試行錯誤でき、納得のいく形を造り上げることは、100回木を彫ること以上の価値があるのだといいます。
砂田清定さん「毎日これを見ている。拝んでいるくらいに見ているので自分の中に段々形が見えてくる。首里城の彫刻はなにがなんでも完成させたいという思いの彫刻だと思う。ということは彫刻に無駄なものが一つも加わっていないし、要を出そうとしてやった彫刻だというのは夜一人で粘土(原型)をやっていると熱いものがある」
この日、砂田さんのもとへ来客がありました。平成の復元に携わった大学教授や建築士など彫刻の監修のため訪れた沖縄からの一行です。砂田さんが描いた下絵・龍の粘土原型と、往時の首里城の姿とを見比べ修正すべき点を細かく伝えていきます。
県立芸大 波多野泉 学長「実績がある方なのでやってきたやり方があるはずだが、沖縄の研究、沖縄県民の期待などを本当に謙虚に受け止めてもらっている感謝したい。良いものができると思う」
建築士(国建)平良啓さん「それぞれの地域の技術。そういったものをコラボレーションすることで、沖縄にそういった伝統的技術が芽生えていくと思う「ウチナービケーン」という言葉もありそれもそれで大事だが色んな方々の協力で作り上げていくのも今回の復元の大きな意義だと思う」
砂田清定さん「込めたいのは自分の思いだけじゃなくて、今までの首里城を支えてきた人。例えば作られた方。何回も燃えてその度に彫刻なり建築をやってこられた方々の思いに寄り添ってやっていきたい。(沖縄)県民の日本全体の財産としての永遠に残るように努力したい」
富山から沖縄に思いを馳せて現在、砂田さんの粘土原型の最終調整に入っていて、いよいよ来月から、木彫りの工程が本格始動します。