今を生きる私たちが沖縄の未来を考えるシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。今から30年前、アフリカのルワンダで、民族同士の衝突から3カ月あまりで100万人以上が殺害された「ルワンダ虐殺」。
この虐殺で、親・親族が犠牲になり自らも命の危険に晒された男性が、先月、沖縄を訪問しました。男性は、講演会で自身の体験したルワンダでの出来事を語り、この島で78年前に起きた、実相に触れました。
糸満市の平和祈念公園。沖縄戦などで亡くなった24万人あまりの犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」を見つめる男性。
「ここに来たことによって沖縄戦で何があったのか、今までどのように沖縄戦が現在までのどういう悪影響を及ぼしたのか、自分がここに来て話を聞くことによって学ぶいい機会になった」
それは男性が体験した「地獄の出来事」。二度と起こしてはならないという男性の強い思いが、沖縄戦の実相を学ぶ原動力となりました。
クロード・ムガベさん。アフリカのルワンダからやってきたクロードさんは、現地の教職員向けに平和学習を教える指導者として活動しています。
この道を歩むきっかけになったのは、彼自身が体験した「あの地獄の出来事」でした。
1994年、ツチ人とフツ人の民族対立をきっかけに起きた「ルワンダ大虐殺」。100日間でおよそ100万人以上が殺害されるなか、当時8歳だったクロードさんは、妊娠中の母親などと生き延びることができましたが、父親と妹、多くの親族を失いました。
その後、自身の経験と平和の大切を語るため、ルワンダの首都・キガリにある虐殺記念館でガイドを務めた後、現在の活動を行っています。
クロードさんは、今回、修学旅行生に沖縄戦や基地問題について伝える活動をしている県内の大学生たちの招きで沖縄やってきました。
学生たちの案内で、沖縄戦を学ぶために糸満市の平和祈念公園やひめゆりの塔を巡り、終戦から79年経った今も犠牲者の遺骨収集が現在も続いていることなど説明を受けました。
クロードさん「ルワンダをはじめアフリカでは第二次世界大戦で日本に起きた影響は知られているけれど、ここに来るまで沖縄という小さい島が、第二次世界大戦によってすごく影響されていたというのを初めて知って、ここで話を聞くことですごく理解を深められた」
クロードさんが来沖のきっかけとなったのは、ルワンダのコーヒー豆を取り扱うカフェを経営するなど起業家としても活動する山田果凛(やまだ・かりん)さんとの出会いでした。
2020年、山田さんがコーヒー豆の取引でルワンダを訪れた際、記念館でガイドとして働くクロードさんと会い「沖縄に行って平和交流することが夢」だと語った彼の思いを叶えるため今回、実現に向け奔走しました。
この日、クロードさんは那覇市で「ぼくが、ルワンダの大虐殺を語り続ける意味」と題した講演を行いました。
クロードさん「きょうは私の国を代表してこのスピーチを行うことは将来の平和を追求することで、私の使命を果せると強く感じています」
講演では、クロードさん自身が目にした「大虐殺」の様子や、1週間茂みに身を潜み自身は生き延びたが家族が殺されたこと、憎しみや分裂を広げるメディアの発信にふれ「メディアは武器になりうる可能性がある。受動的に受け取るのではなく、意図を見抜き、真実を求め、信念を貫くことが不可欠」と強調しました。
クロードさん「より平和な世界に向けて意義ある一歩を踏み出すことを約束しましょう。きょう呼んで頂いたことについて感謝を申し上げます。お互いともに可及的な平和、未来をともに創っていきましょう」
参加者は、沖縄戦を体験していない世代がほとんどですが、メモを取ったりするなどクロードさんの話に聞き入っていました。
参加者「去年9月に実際ルワンダに研修で2週間ほど行った経験があったので、実際に話を聞けるということでまたとない機会だなと思って来ました。一言一言が重たい言葉で、30年前に起こった虐殺を経験された方だからこその重さがあったなと思ったんですけど、自分自身のことを愛して自分自身に優しくするというのが平和への一歩になる、今まで遠かった平和というのが身近に感じる言葉だったと思いました」
参加者「平和を語り継ぐということをよく聞くと思うんですけど、それを改めて大切だということを臨場感が伴って感じた」
参加者「平和に向けて起こせるアクションをみつけてディスカッションやイベントを今後作れたらと思うので、改めて自分自身の中でも平和に対してもっと理解していこうと思いました」
世界各地で未だ戦争や紛争が絶えないなか、平和な世界に向けて意義ある一歩を踏み出すこと目指して、クロードさんは訴えて続けていきます。