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戦後の沖縄で、地元を盛り上げたいという先代の思いが感じられたということです。2022年に閉館した首里劇場で開業当時、掲示されていた広告看板が70年の時を超えて広告主の元に戻りました。

首里劇場は1950年に開館、映画館や芝居小屋として運営されていました。しかし、時代の経過と共に、建物が老朽化し2022年に閉館となり、取り壊されました。

広告看板は、当時、劇場を訪れた観客の目に止まりやすい壁に掲げられ、戦争で多くを失った沖縄で地元の企業の心意気を伝える役目も果たしていました。

企業の元気を伝えていた広告看板は複数枚見つかっていて、そのうちの1枚に泡盛「瑞泉」の看板がありました。2023年10月、劇場側は、歴史を刻んだこの看板を広告主に返還したいと瑞泉酒造に打診し、会社側が快諾して今回の引渡しとなりました。

そして2024年1月17日、劇場の館長で2020年に亡くなった金城政則さんの親族が瑞泉酒造を訪ね、佐久本学社長に看板を手渡しました。

首里劇場で掲示 泡盛メーカーの看板を返す

佐久本社長は「本当に、この首里市崎山区とか電話番号が45番というのは」と話すと金城裕太さんは「下書きとか残っているのですよ」と答えました。

佐久本社長は「なかなか、1950年代の物というはウチ、ほとんどないものですからこういうのがあるとありがたい、歴史を感じる」と話すと、金城裕太さんは「ただいまという感じだと思うので」と答えました。

金城館長のおい・金城裕太さんは「形(首里劇場)が無くなってこうやって地域に皆さんに恩返しができることは、親族としてもとても喜ばしいことだと思っております。」と話しました。

瑞泉酒造・佐久本学社長は「70年前に(看板)をお渡ししてですね、それで残っている中で(看板を)お返しするという言い方でありがたいなと思っています。1950年代の物が、会社にないもんですから、その前から地域に貢献していた形で応援していた。首里を盛り上げるというのが、先代にあったと感じられるもの」と話しました。

首里劇場が託されて繋いできた地域の歴史の一片が70年ぶりに瑞泉酒造に戻り、先人たちの思いとともに社内の展示スペースに掲示される予定です。