太平洋戦争中にフィリピンに残された「残留日本人」の2人が、沖縄を訪問しています。そのうち女性が、父親の故郷とされる南城市をまわりました。
カナシロ・ロサさんは「沖縄の一員として玉城知事やそして皆さんにお願いしたいのは、私を沖縄の一員とし受け入れてくれることを願っています」と話しました。
フィリピンから来た残留日本人2世の2人は、「クラウドファンディングで沖縄を訪れることができた」と感謝を伝えました。
玉城知事は「2人が住む地域との交流を深めて、今後も同じルーツを持つ人たちにどんな支援が可能か検討したい」と応えました。
2023年12月14日木曜日、那覇空港ではロサさんの親族だと名乗り出た人たちが横断幕を広げて、今か今かと対面を待ちわびていました。
フィリピン残留日本人2世で現在、フィリピンのダバオ市に住むカナシロ・ロサさん(80)が初めて沖縄を訪れ、親族との対面を果たすことができました。
カナシロ・ロサさんが会見で「私を家族として受け入れ頂けると、とてもうれしく思います。私は国籍はないけれど、心は日本人です。父が日本人だから」と述べました。
ロサさんは幼い時に父と生き別れになったために、ほとんど記憶はありません。生まれた後に教会で受けた儀式の記録にはその父の欄には「カナシロ・コシエ」という名前が書かれていて、母親から「父は日本人」だと伝えられていました。
その後の調査で、父が沖縄から移住してきた「金城幸正」さんだという可能性が出てきたのです。
父親のふるさとを一度訪れて「親族から直接話を聞きたい」。ロサさんの長年の願いでした。滞在3日目、ロサさんは父の出身地「南城市」に向かいました。
カナシロ・ロささんは車内で「とても幸せです」と話しました。「親族に会えることが楽しみ」だと言いますが、表情は硬く、どこか緊張しています。
車で移動することおよそ30分、待ちに待った親族との対面です。
「ありがとうございます」「お帰りなさい」と応対。
ロサさんをあたたかく迎えようと、親族およそ15人が集まりました。緊張していたロサさんの顔が一気に明るくなりました。
子どもは「お友達みたい」と話しました。
父・幸正さんの仏壇が親族の一人・金城初子さんの自宅にあります。仏壇の前に立つと、これまでの苦しい日々が込み上げます。
さらに、親族の先祖が眠る墓にも向かいました。ロサさんは太平洋戦争時の反日感情から逃れるため、無国籍状態の厳しい生活を強いられました。
幼少期には差別やいじめを受けたこともありましたが、「父」への思いを忘れることはなかったといいます。
墓から戻ってきたロサさんは、父の写真を初めて見ることができました。フィリピンに渡る直前、16歳から17歳のころに撮影されたものだといいます。
テーブルに並べられた父・幸正さんの兄弟の写真の数々は、この日のために親族たちが家中を探して集めてきたものです。ロサさんも17歳で結婚した時の写真をみんなに見せて、思い出話に花を咲かせました。
支援団体では、今後面談した人たちがロサさんの親族であると認められるような手続きを進めて、最終的には日本国籍の取得を目指します。
12月19日は、先日特集で紹介した残留孤児の男性の沖縄での様子をお伝えします。