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続いては特集です。日々の予定だけでなく日記や家計簿など使い方次第で様々な役目を果たしてくれる手帳。圧倒的な情報量を誇る沖縄生まれの手帳に込められた制作者の思いを取材しました。

「気ぜわしい年末書店の店頭には来年用のカレンダーが並び様々なメーカーが全国で販売する手帳がズラリそしてこの店では沖縄ならではの手帳売り場を設けています」

今年も残すところ20日あまり。日々の予定をスマートフォンなどで管理する人も多い中、以前と変わらず手帳を愛用する人にとっては来年用に買い替える時期でもあります。店頭に並ぶ沖縄県産の手帳は10種類ほどですが、中でも愛用者の心を掴んで離さない1冊が。

手帳を買いに来た人「満潮とか日の出とかに基づいて朝早く起きたりとか海に行ったり山に行ったりしているので便利」

手帳を買いに来た人「沖縄のいろんなネタが入っている」「私ずっとこればっかり」「使ったらもう離れられない」

『沖縄手帳』

県民に愛される『沖縄手帳』

売り場を訪れた人が次々に思い入れを語る『沖縄手帳』3色のハンディサイズのほかノートサイズやマンスリータイプなど、3種類を展開しています。

発行部数は3万冊ほどで毎年ほぼ完売するヒット商品です。(書店で2万冊・ネットで1万冊を売り上げる)

ジュンク堂書店 森本浩平さん「沖縄のみなさんは地元に関しての関心が他の県よりも圧倒的に強い」「沖縄のブランド、沖縄のものを持つというところにも重きがあると思っていて手帳であれば県外のものよりは地元の企業が作った手帳を使おうという気持ちもあるのではないか」

県民に愛される『沖縄手帳』

沖縄手帳が生まれたのは1994年。当時、沖縄の情報が書かれた手帳といえば八重山地域に特化した『やいま手帳』しかありませんでしたが、沖縄本島の情報を網羅した1冊を目指して創刊し来年30周年を迎える老舗です。

創刊当時の手帳を開くと29年前のきょうの出来事は「琉球松が県の木に指定された」ことだけでしたが、2024年版の沖縄手帳 来年には中城村が制定した「島にんじんの日」に「喜友名諒さんの10連勝」「西原高校マーチングバンド部・10度目の金賞受賞」も追加され30年の変遷を感じることができます。

この手帳をつくっているのが!

沖縄手帳社 真栄城徳七さん「ぐすーよーちゅーうがなびら沖縄手帳発行人の真栄城ですきょうも1時間ほどお付き合いいただきたいと思います」

沖縄手帳を監修・発行する真栄城徳七(まえしろ・とくしち)さん。過去のことを沖縄の人に忘れてほしくないと20年ほど前から日々の出来事を手帳だけでなくラジオ番組でも伝えています。

県民に愛される『沖縄手帳』

沖縄手帳社真栄城徳七さん「沖縄は圧倒的に旧暦社会神事の行事イベントはみんな旧暦」「不可欠なんです旧暦は」「ところが大手企業の中では旧暦を使わないというお達しが出てきたりしている」「沖縄には沖縄に合った手帳が必要」

この日は出版社や印刷会社を交えた会議に参加。来年用の沖縄手帳を購入した県民からの声を共有し、再来年に向けてさらに使いやすい1冊にするための場です。創刊以来、愛用者の思いを受け止めながらそれを形にしてきた沖縄手帳。寄せられる意見や要望は様々です。

県民に愛される『沖縄手帳』

「月間カレンダーページに小さく前月・翌月カレンダーをつけて欲しい」

「6週目の欄も作って下さい!30日や31日がぎゅうぎゅうで書けなくなります…」

「年齢早見表は祖父母の代まで載せて」

サン印刷 新城達男さん「情報量がすごく多いので項目ごとに校正したり、やり方を変えたりしているが、何かあったりとか印刷寸前まで(確認している)」

サン印刷 森美佳さん「今まで手に取らなかった人にどうやったら取ってもらえるかをすごく気にしている」「シーサーのイラストは必ず入れるようにしていて沖縄らしさは前面に出すようにしている」

県民に愛される『沖縄手帳』

『1年持ち続けるからこそ沖縄の声に応え沖縄に馴染む手帳にしたい』

工夫を凝らしながら成長してきた沖縄手帳はこれからも県民に寄り添い続けます。

沖縄手帳社 真栄城徳七さん「他の手帳とは違った特徴」「(愛用者から)沖縄にこだわっているよ」「沖縄愛にあふれているよみたいに言われている」「電子手帳とかスケジュール帳には置き換えできない部分があるんじゃないかと思っている」「沖縄のことを知るための辞典みたいな形になっていると思う」

県民に愛される『沖縄手帳』

県民の県民による県民のための沖縄手帳。一度手にとってみてはいかがでしょうか?

『読む度に新たな発見があるほどいろんな情報が載っている』

真栄城さんに「なぜ30年も続けてこられたんですか?」と聞いたら「その日ごとの『過去の出来事』は来年・再来年の手帳のために記憶を更新していかないといけない」その中で「自分も目が覚めるような発見があるからこそ30年も続いてラジオでも伝えたくなるほどだ」と話していた。