政府が南西シフトとして進める自衛隊配備や、有事の問題などを考える「沖縄と自衛隊」です。きょうは、いまから36年前、沖縄上空で起きた緊迫の事態について取り上げます。
1987年、旧ソ連軍の航空機が沖縄本島上空に侵入し、那覇基地を発進した自衛隊機が警告射撃を行っています。航空自衛隊で初となった警告射撃を、当時の自衛隊幹部は武力衝突に発展する危惧を抱えながら見つめていました。今も那覇基地からは、沖縄周辺に近づく中国機の対応のため、自衛隊機が飛び立ち続けている中で武器を使うことの意味について、考えたいと思います。
F15戦闘機およそ40機が所属する、航空自衛隊那覇基地。民間機が離発着する那覇空港と、滑走路を共有しています。防衛省が発表した、領空に近づく航空機に対応する緊急発進・スクランブル回数は、今年3月までの1年間で、778回。東西冷戦下に近い水準で推移しています。およそ74%が中国機で、地域別で分けると、那覇基地の戦闘機が対応した数は、全体のおよそ6割を占めます。
沖縄の空の玄関口と同居する那覇基地は、中国機対応のための大きな「要」になりつつあります。
林吉永氏「対領空侵犯措置がきっかけで、戦争が起きるということを、この新聞を見て誰がどれだけ考えたか。非常に危なっかしい」
そう語るのは、元航空自衛官で空将補まで務めた林吉永さん。あの日。旧ソ連軍機による沖縄上空での領空侵犯事件に対応した一人です。
1987年12月9日。沖縄周辺に近づいたソ連軍機が、日本の領空に侵入し、沖縄本島上空を横断。那覇基地を飛び立ったF4戦闘機が対応し、航空自衛隊史上初となる警告射撃を行いました。
当時・与座岳のレーダー基地で、司令を務めていた林さん。F4戦闘機と基地のやりとりを見る中で、軍事衝突に拡大する懸念を募らせていました。
林吉永氏「私は当時の(上部の)司令官に問題ありと報告した。『やめましょう』と言ったが『書いてある』と(司令官は)『手順書に書いてあるのだからやる』と言うわけですよ」「信号射撃・警告射撃の危険性は、相手が『撃たれた』と思うだろう。そしてこちらの(日本の領空侵犯対応の)規則を知らないので、余計。しかも実績としてはソ連は(領空侵犯した)大韓航空機を撃墜している。同じことをされるなら(ソ連機は)応戦すると」「戦争になるのは最悪の事態。それを覚悟しているのか」
ソ連機は嘉手納基地、普天間基地上空も通過していたこともあり、意図的な偵察行為との疑念も渦巻きました。対するソ連側は原因を「機器の故障」として搭乗員の処分を公表。幕引きを図りました。
小渕官房長官(当時)「これは外交ルートを通じて(ソ連側に)厳重に抗議する予定」
恐れていた武力衝突は回避されましたが、林さんは、機械的な対応の危うさを指摘します。「マニュアルに盲目的に従って、結果を想像しない発想。相手が撃ち返したらどうなる、という発想が一切ない」「疑問・迷いのアナログ効果の欠落が、日本にとっては国の命運を危うくする」「規則通りに行うことは、手順通り・プログラミング通りということで、もう人間の理性・感性は関係ない」
金城さん「こちらがバルカン砲です」記者「何発くらい(機関砲弾を)積んでるんですか?」金城さん「千発弱っていえばいいんですかね・・・」
今、任務に就いているパイロットはどう考えているのでしょうか。那覇市出身の金城裕磨(ゆうま)さん。F15のパイロットとして、スクランブル発進にも対応しています。那覇基地から飛び立つ戦闘機が対応する中国軍機は近年、無人機も目立ってきています。その中でも武器を扱う責任を感じながら、任務や訓練にあたっているといいます。
金城さん「発射ボタンを押すことで、国と国との衝突を招きかねないというのを意識しながら任務にあたっている」「射撃をする、ミサイルを撃つという責任の重さを感じながら、日々の訓練や実任務に就いています」
実際武器を使用した場面で対応に当たった林さんは、事件後、戦闘機部隊の司令を務めていたころ、部下にこう語っていたといいます。
林吉永氏「絶対(相手より)先に引き金を引いてはいかんと」「先に(自衛隊側が)犠牲者になることによって、日本の正当性が担保されるという理屈。ただ、お願いだから何とか死なないで(脱出して)生きて帰ってくれと勝手なことを(戦闘機の)パイロットに言っていました」「中国は、日本が先に手出しするのを期待してちょっかいを出してくる。(自衛官に)その手に乗るなと指導しなきゃいけない」「国民から非難されようが、弱腰だと言われようが、その人が国を救ったという確信があればいいんです。それが自衛隊。命を捨てて戦うだけが自衛隊じゃない」
自衛隊が武器を使うことは何を意味するのか。防衛力の強化を巡って勇ましい議論をする前に、考えるべきことではないでしょうか。
ここからは塚崎記者です。改めて、どういった事件だったのでしょうか。
塚崎記者「1987年にベトナムから北上してきたソ連軍の航空機が沖縄本島上空などで領空侵犯し、自衛隊の戦闘機が警告射撃したものです。」
塚崎記者「こちらをご覧ください。「強制着陸の態勢も」と当時の新聞にあります。実は自衛隊は那覇基地、つまり那覇空港に領空侵犯したソ連機を強制着陸させることも検討していました。」
那覇空港への強制着陸、という事態は実際には起きなかったわけですが、どのようなことが想定されていたのでしょうか。
塚崎記者「1976年にソ連の戦闘機が北海道の函館空港に強行着陸した事案が一つの参考になると思います。この時、パイロットの目的はソ連からの亡命でしたが、機体から降りて、威嚇として銃を撃ったとされています。また、軍用機は機密の塊ですから、乗組員が機体を離れた後、リモートで爆破するという事態も考えられます。」
「民間と自衛隊が共同で使う那覇空港ゆえに、県民の安全にも重大な影響を与えかねない事件だったといえると思います。」
当時任務にあたっていた林さんも、今、戦闘機に乗っている金城さんも、武器を扱う自衛隊の責任について言及していましたが。36年前の事件から、今、何を学び取るべきなのでしょうか。
塚崎記者「警告射撃は、戦争につながりかねないと林さんはやめるように進言していました。防衛力強化を巡って、勇ましい議論が行われているいまこそ、必要な視点だと思います。一発の銃弾が国同士の戦争に発展してしまう事態は、歴史上、幾度と起きてきています。自衛隊が持つ武器が、国家の意思として使われることが、決してフィクションの中の話ではなく、現実に起きうることだと考えることが重要です。武器を持ち、使用すること。それ自体が戦争につながる恐れがあることを、胸に刻む必要があると思います。」