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琉球王国時代に使節団として訪れ、琉球で亡くなったフランス水兵の墓で、大使館駐在のフランス防衛武官らが参列して追悼式がありました。
今から177年前、フランスの使節団は交易などの交渉を行うために3隻の船を率いて琉球王国を訪れ、その際、3人がこの地で命を落としました。当時は外国人全てが「ウランダー」と呼ばれていた為、今でもウランダー墓とされ、太平洋戦争後は地元・名護市運天原の住民により大切に守られてきました。
20日の追悼式にはフランス大使館のジェローム・シャルドン大尉やフランス海軍の兵士ら、それに県内の関係者あわせて20人が参列。地元の人たちへの感謝の言葉を伝え、ギターの演奏で亡くなった3人を追悼しました。
在那覇フランス名誉領事の比嘉千春さんは「フランス人が公式に訪れたのは琉球・沖縄が最初であったこと、歴史的な意義とその意義をずっと引き継いで、私たちが守っている、運天原地区の皆さんが支えている。未来永劫フランスと日本あるいは沖縄の友好関係の証として残してもらいたい」と話していました。
ウランダー墓は1983年に名護市の指定文化財となり、2016年に周辺整備が進められていて、関係者は多くの人たちに気軽に訪れてほしいと話しています。