今を生きる私たちが50年、100年先の沖縄の未来を見ていくイマジンおきなわ、今回は戦後の沖縄復興を支えたとされる「縫製」がテーマです。
歴史ある「縫製業」をより魅力ある産業にしたいと意気込むのは四半世紀、業界に携わってきたベテラン職人です。八重瀬町にある工房から響く、どこか懐かしく心地よいリズムで動くミシンの音。
新垣奈美さん「若い人でも楽しみながらやりがいある仕事にしたいと今25年、ずっと思いながら仕事をしている」
ここで作業をしているのが、この道25年の新垣奈美さんです。祖母・母と親子三代で縫製に携わってきました。実は、特別な資格は求められず、あくまで手先の器用さ・センスが問われる「縫製業」は実は、戦後の沖縄を支えた産業の一つです。
特に、戦争で家族を亡くした女性が自宅で子育てをしながらできる仕事として人気を博しました。新垣さんの祖母も戦後、現在の牧志あたりで洋裁店を営んでいました。
新垣奈美さん「幼い時からミシンの音に親しんでいたというか」結婚後、「気分転換」になればと身近だった縫製を始めます。「空いた時間にできるのが一番いい、別の用事もできるし子育てもできるし」
ある程度の経験と技術を身に着けた13年前、出会ったのが「帆布」です。きっかけは、現在一緒に製品づくりを行っている上原さんからの「帆布でバッグを作ってくれないか」というアプローチでした。
新垣奈美さん「沖縄は薄手の素材を使った縫製が多くて生地を見た時にとにかく厚い固いというのがあって」「その上私は本格的な鞄を作ったことが無かった」「とりあえず生地を持ち帰って作るが、自分が思っている物ができない」
それもそのはず「帆布」は今まで新垣さんが扱ってきた素材とは全く異なっていたんです!例えば、暑い沖縄で好まれるのは「薄手の生地」通常「はさみ」を使って裁断は行われます。しかし、厚手の帆布生地はハサミで切ることができません。
そのため「カッター」や「包丁」を用いて裁断の作業は行われます。布に折り目をつける作業も手では曲げられないので、「ゴム製のハンマー」でたたいてみたり、針や糸も一般的な物と比べるとこんなに太さが違うんです。
上原社長「新垣にも最初は断られたんですね『こんなに厚いものは縫えない』と言われたんですけど、ただ私も新垣も簡単には諦めるというのが嫌な性格だった」
培ってきた経験だけでは通用しないことを知った新垣さんは技術を求め、県外にわたります。そこで得た知識をもとに上原さんがデザインし、新垣さんがつくる。二人三脚で1年ほどかけ、第1号のバッグがようやく完成しました。今思うと簡単なものだったといいますが、二人の努力と思いが詰まった特別なものでした。
上原社長「これからどんどんいろんなバッグが作っていけるのかなと夢が広がった」「新垣さんが見つからなければできていないブランド新垣さんに対する感謝の思いはもちろん強い」
動き出した二人は止まりません。
新垣奈美さん「帆布のカジュアルな素材を使って伝統工芸を若い人から年齢を召している人にも普段使いができる感じで使えたらいいなと」
安定した品質で帆布を使ったものづくりができるようになると、伝統工芸品・紅型のデザインをプリントしたコラボ商品を考案します。
紅型工房守紅・宮城守男さん「誰でも持てる小物からちょっと大きい鞄までいろいろ作ってくれるので、男女問わずそれこそ年齢も老若男女問わず、すごく広がったと思う」
作家から信頼も絶大です。
妻紅型工房・守紅 宮城京子さん「いくら柄が良くても縫製が駄目だったら商品としては駄目」
宮城守男さん「今まで仕事の中で見たり経験しているので一見、形やデザインなどを見がちだが縫製ってとても大事」「使うものに対しては縁の下のとは言わないがとても大事だと思う」
当初2種類から始まった帆布製品は今や160種類以上にものぼります。その他にもSDGsに配慮し、かりゆしウェアなど着なくなった衣類を「バッグ」に変える「アップサイクル」や売り上げの一部をサンゴ基金に寄付する「エコバッグ」の製作など、地域にやさしく、地域に根差した取り組みを行っています。
新垣奈美さん「25年間やれているのは大変さというのもやりがいの一つに変わっているからこそ続いていると思う」
ひと月で30個以上のバッグをつくる毎日は忙しくなく過ぎていきますが、その中には喜びも溢れています。
新垣奈美さん「裏方の仕事で、物とだけなので言葉が返ってくるわけじゃない、その中でステッチ一つにしても良いステッチだというのがでてくる手仕事になってくると、一般の人はわからないがこれは本当に自分だけの喜びでこれ言っていいのかな?」
そんな新垣さんの次なる目標は、「縫製業をもっと魅力ある産業」にすることです。
新垣奈美さん「自分で作ったものを使っている人をたまたま見かけたりとか本当にうれしいので言葉もいらないというか」「暗い仕事、地味な仕事、割に合わない難儀な仕事みたいなもの(イメージ)があると思うが、もしそのように感じている人がいるとするなら、今私ができることは工房の中でワークショップや講習をして縫製というのはこんな仕事なんだ、楽しみながらできる機会を作っていきたい」
「また興味のある人はぜひ工房に来てウェルカムなので」
丁寧に目の前の「帆布」に一針一針思いを乗せ新しい挑戦を。新垣さんの夢はミシンとともにこれからも走り続けます。戦後の沖縄で洋裁が女性たちを支えた沖縄の縫製技術はとても高い、工房で楽しそうに作業されているのが印象的。
現在こちらの工房では、新垣さんと喜屋武さんという2人が作業している。(職人は4人あとの二人は個人に外注している)
これから若い力を借りながら、「県民ひとりにつき一個持っているバッグ」を目指してがんばっていきたいと話していました。