続いて特集です。ロシアによるウクライナへの侵攻が始まってから1年半以上が経過しました。ウクライナの隣国・ポーランドで避難民の支援活動に尽力する県出身の東優悟さんが託児所を開設しました。この場所には、東さんにとってかえがえない人への思いも込められていました。
カラフルな粘土を使って楽しそうに遊んでいるウクライナの子どもたち。ここは、ウクライナの首都キーウから西に800キロにある、ポーランドの都市カトヴィツェにオープンした託児所「友好の家」です。
東優悟さん「一緒に公園に遊びに行ったりすると言葉関係なく多分ウクライナ語でひたすら伝えてきてくれてそういうところも可愛いですよね」
Q子どもたちは東さんのことはなんて呼ぶんですか?「呼び捨てですね 優悟優悟って」
この場所をつくったのは那覇市出身で現地の大学院に通う東優悟さん。ロシアによるウクライナへの侵攻が始まってから隣国のポーランドで避難民を支援する活動を続けています。避難してきた母親たちの就労支援と、子どもたちの居場所づくりを目的に今年7月に託児所を開設しました。現在では3歳から6歳まで8人の子どもを預かっています。
東優悟さん「今まで1年以上保育所に通えていなかった子、保育所に一度いったけどどうしても言語の問題で馴染めなった子たちがいて、その子たちが今ウクライナ人だけのコミュニティに入れて伸び伸び過ごしているのを見るとすごい楽しそうに過ごしているなと感じますね」
託児所では子どもたちが絵を描いたり、おもちゃで遊んだりダンスをしたりと楽しい時間が流れています。ただ、その運営にはまだまだ課題も多いといいます。
東優悟さん「託児所の基本的な運営にあたる資金は、ほぼほぼ全部日本の皆さんからの寄付によるものでしたので、この先っていうのを考えるのを自分たちでも何とか出来る限り頑張っていかないといけないなというのと、皆さんにまた支援をお願いしなければいけないなというところです」
ウクライナでの戦争が始まったのが去年2月。それから1年半以上が経っています。戦争が長引いていることで避難民を受け入れている国々のいわゆる“支援疲れ”が懸念されています。現在も約100万人の避難民が滞在するポーランドでも経済的な理由により、これまで無料だった避難所ですら有料となるところが出始めているといいます。働かなくては避難すらできない状況です。
東優悟さん「帰るのは怖い、子どもをウクライナへ連れて行くのは怖いけどでも仕事もできないし、という状況になってしまうとどうにもならないという状況があって、というのを自分たちは何とかしたいと思っていたので」
東さんの託児所でも引き続き支援を募る一方で母親たちには3か月の間に仕事を見つけてもらい4か月目以降は食事代が賄える程度の月謝を払ってもらうことになっています。
厳しい資金繰りなどの課題に向き合いながら何とか支援を続けていこうと運営している託児所。ここには、東さんにとってかけがえのない人への思いも詰まっていました。
東優悟さん「託児所を運営するってなった時にすごい率先して背中を押してくれて道半ばで他界してしまったんですけど」
マルタさん「この戦争自体が全く無意味なもの・必要のないものであってこの戦争によって家や夢、家族を失った人たちに本当に申し訳なく思っていて、私たちがウクライナ難民を助けること自体はもう義務のようなもので人としてやるべきことだと思っています」
ウクライナへの侵攻が始まって1か月後の取材で思いを語っていたのが東さんのパートナー・マルタさん。託児所を運営するために必要な資格の取得や、施設でのカリキュラムを考え、保育士やカウンセラーを探すなどウクライナの子どもたちを支えるために東さんとともに、奔走してきました。
しかし、今年1月、託児所の開設が実現する前に、病気のため亡くなりました。
東優悟さん「マルタが他界した後、託児所の件でもゴタゴタして自分が無気力になったりして結構大変な状況ではあったんですけど、日本の支援者が学生の自分が行動をしていることが大事・偉いと言ってくれたりしてその良い言葉だけを信じてまた前に進もうと思って」
ウクライナの避難民を助けたいというマルタさんの遺志も背負って開設までたどり着いたのがこの託児所でした。
Q:託児所が無事開設できた時ってマルタさんにはどんな報告を? 東優悟さん「お墓参りに行って夢だった託児所がやっとできたし子どもたちも自分たちが思っていた以上に需要があって、すごい子どもたちが来て、もう心配しなくていいよと伝えましたね。あとは自分たちで頑張っていくと」
やっとの思いで実現したこの託児所。それでも東さんは「必要で無くなる」ことが一番の理想だと話します。
東優悟さん「託児所が必要な環境というのはウクライナの子どもたち難民に関していうと(託児所はありがたいけど)その託児所がどうしても必要になってしまう環境というのは望ましい環境ではないと思う、結局この戦争が長引けば長引くほど子どもたちへの影響は大きいんだろうなって、ひたすら早く戦争が終わってほしいなというふうに思っていますね」
戦争が終わり、避難民への支援が必要でなくなってこの託児所を閉める日が来るまで東さんの奮闘は続きます。
東さんはマルタさんのことについてはつらさもあって、あまり話したくないということもあったんですが今回のインタビューでしっかりと答えてくれました。
沖縄から遠く離れた地で色々な苦しい思いをしながらそれでもなお、支援の手を差し伸べている県出身者がいることウクライナでの戦争がまだ終わっていないことを改めて知っていただけたらと思います。
東さんの託児所では今後、受け入れる子どもの人数を増やす予定です。継続的な運営のため、こちらの口座から運営費の寄付を呼びかけています。