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疎開船の児童らの命が奪われたあの日から79年です。那覇市の小桜の塔では対馬丸の慰霊祭が行われました。

79年前の1944年の8月22日学童疎開船「対馬丸」は、1700人余りを乗せて沖縄から長崎に向かっている途中アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け沈没学童748人を含む1484人が犠牲となりました。

小桜の塔で行われた慰霊祭には遺族関係者らおよそ250人が参列し7月亡くなった対馬丸事件の生存者で語り部の平良啓子さんを含む犠牲者に黙とうを捧げました。

対馬丸記念館高良政勝理事長は「私たちはこれからも対馬丸事件を継承し平和な世の中を作り上げていくことを心に決め、犠牲者の安らかなご冥福をお祈りいたし」と追悼し、叔母を亡くした又吉静枝さんは「若い人たちがもっと(慰霊祭に)出席して戦争にならないようにみんなで考える時期来ていると思いました」と話していました。

また高良理事長は対馬丸記念館について「国策によって多くの子どもたちが亡くなっており、記念館を我々民間によるものではなく国や県で維持して欲しい」と平和のモニュメントとしての存続を訴えていました。