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首里城の再建を追いかける復興のキセキです。2026年の完成に向け、復興が進む首里城。今回はその首里城と切っても切れない関係にある「沖縄戦」に焦点を当てます。

4年前の火災で周辺施設が持つ歴史的価値を改めて見直そうとする動きが高まっています。首里城の地下から沖縄戦の実相を伝える「第32軍司令部壕」を「永遠の語り部」として後世に残そうと尽力する男性がいました。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「永遠の語り部、これは戦争を生き延びた人々ではない。いずれこの世から去っていく。」「32軍壕は確かに劣化していく。あちこち土が壊れたりする。しかしながら壕を残していれば、沖縄戦の実相というのは、永遠に続くだろうということ。」

悲惨な沖縄戦の教訓を埋もれさせてはいけないと瀬名波榮喜さんは第32軍司令部壕の保存・公開を30年近く訴えてきました。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「第3坑道も第1坑道も第2坑道もこの守礼門のほとんど真下、そこの辺りで交わっている」

柱や梁となる木材の加工や、作業効率を落とさないよう雨風などから正殿を守る巨大な仮設屋根「素屋根」の工事が最終段階に差し掛かるなど、再建に向けて歩み続ける首里城。その足元に、78年前の沖縄戦を伝える遺産「第32軍司令部壕」が眠っています。

アメリカ軍の侵攻に備えて編成された旧日本軍・第32軍の司令部が置かれた壕で、中には小銃や鉄製のヘルメットなどが残されていて、壕の奥から流れ出る水のために、足元はぬかるんでいます。

首里城2026 復興のキセキ「第32軍司令部壕 沖縄戦の実相を永遠に語り継ぐために」

軍の機密であったことから設計図はなく、これまでの調査で全長1キロ余り、南北およそ400m、深いところで40mほどのアリの巣上に掘られた壕内には当時1000人近い兵士がいたといいます。

出入口である「坑口」は、全部で5カ所あるとされていますが、現在確認できるのは「第5坑口」、1カ所のみで壕の内部は、落盤の恐れなど安全面に課題があることから全容はわかっていません。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「戦争中はこんなに100%湿気のある中でどのように生活していたのだろう。トイレはどうやっていたのだろうか、食事はどうやっていたんだろうか当時を思い起こしてあるいは想像する。そういう本当にただ写真を見るだけじゃなく臨場感を肌で感じる」

瀬名波さんは県立農林学校に在学していた16歳の時、沖縄戦を経験しました。戦後は、英文学研究者として教育現場に立ち続けました。首里城だけでなく「第32軍壕」も沖縄の歴史を伝える学びの場として活用してほしいと考えています。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「平和であればこういうのができるのにと、戦争があったためにこんなふうになったんだということが一カ所で見ることができる。平和と戦争、一カ所で体験できる追体験できる。」「やはり首里城と引き離しては考えられないと思う。」

首里城2026 復興のキセキ「第32軍司令部壕 沖縄戦の実相を永遠に語り継ぐために」

瀬名波さんが保存公開を望む大きな理由は第32軍壕こそが「沖縄戦の悲劇の始まりの地」とされているからです。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「第32軍(壕)の最終的な決定は、南部撤退だった。これは、沖縄の運命を決定したようなもんですよ。」

1945年5月22日、開戦当時10万人いた兵士や武器の大半を失い、戦いはほぼ決していたにもかかわらず、第32軍は本拠地の「首里」から多くの住民が避難していた「南部」に撤退することを決めました。壕内で下された決断によって沖縄戦が長期化したことで、県民の4人に1人が命を落とすこととなりました。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「我々の受けた教育というのは皇民化教育ですよ。何のために国のために、誰のために天皇陛下のためにと、誰のために何のためにかけがえのない命を捧げなきゃならないか。今からの子供たちには十分考えてもらいたい。我々は本当に盲目的でしたから。」

瀬名波さんは、32軍壕の保存公開を求めるだけでなく、沖縄戦に動員された県内21校の出身者でつくる「元全学徒の会」で共同代表を務めるなど、これまで精力的に沖縄戦の実相と教訓を語り継いできました。背景には、学友たちの死を無駄にしたくないという思いがあるといいます。

首里城2026 復興のキセキ「第32軍司令部壕 沖縄戦の実相を永遠に語り継ぐために」

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「わずか15~6歳にして、自分の希望も果たせずにこの世を去ってしまったと。彼らは一体何を思って、この世を去っていったのだろうかと。」「平和以外になかったんじゃないか。平和な学園生活。平和な家庭、平和な社会、平和な国家」

「彼らに対しては、自分たちだけ生きて申し訳ないなと、そういう感じがする。32軍壕を保存公開するということによって、彼らが持っていた夢、平和な島を必ず再現するんだと、32軍壕の果たす役割というのは今後大いに期待している」

県 女性力・平和推進課 島津典子課長「県民の声もやはり首里城だけではなくて、首里城公園の地下に眠る第32軍司令部壕の存在も「県民の負の遺産であっても財産としてつないでほしい」という声が多く寄せられて県の取り組みにつながっている」

瀬名波さんの活動は確実に広がりを見せています。首里城の火災を機に高まった世論に応えようと、県は有識者による「第32軍司令部壕保存・公開検討委員会」を設置しました。正殿の完成が予定されている2026年には、第1坑道の公開を目指しています。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「(公開されたら)私の一生の最大のプロジェクトがやっと完成して、あの世にやすやすと逝けるとそういう思いがするでしょう。」「これはもう長年の願いですから。我々があの世に逝く前に保存公開されれば、もうそれに越したことはないと。」

首里城2026 復興のキセキ「第32軍司令部壕 沖縄戦の実相を永遠に語り継ぐために」

首里城地下に築かれた「第32軍司令部壕」戦後78年経った今、戦争の実相を伝える遺産をいかに活用し、瀬名波さんの思いをどうつないでいくのかという大きな問いが私たちに投げかけられています。

第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん「こういうかわいい子どもたちに、二度と沖縄戦の体験をさせたくない、平和の中で学校にも通い、勉強し、自分の好きな分野に取り組んで将来平和の人と言うんでしょうか、平和の語り部に、あるいは平和継承のひとりになってもらいたい」