今を生きる私たちが、沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINE・おきなわ」です。きょうは沖縄の歴史や伝統文化にこだわった映像を撮り続ける小さな製作会社をご紹介します。
残したい沖縄をコンセプトに活動するそのルーツには石川県出身の映画監督の強い思いがありました。物語は57年前の久高島、さらには78年前の沖縄戦までさかのぼります。
イザイホウ(撮影1966年) 提供 海燕社
神の島として知られる久高島で行われていた12年に一度の神事、「イザイホウ」。この映画は今から57年前の1966年に行われた時の様子を記録したものです。島で生まれ育った女性がカミンチュとなり島の祭祀に携わっていくためのイザイホウは後継者不足などから1978年を最後に途絶えました。
当時の島の人々の生き生きとした姿をフィルムに収めた一方で時代とともに厳しくなる生活や伝統継承への率直な声も記録されています。
島の学校の先生「こっちにいたところで働く口がなく、ただぶらぶらするだけで自然にそうなるんじゃないでしょうか。本島に出るほかないと。」
このドキュメンタリー映画は、イザイホウの2カ月前から久高島に入り島の人たちの信頼を得たうえで撮影した映像制作に関わる若者たちの手でつくられました。その一人が石川県出身の映画監督で3年前に他界した野村岳也(のむら がくや)さんです。
野村岳也さん「僕は神人がこの祭りが消え去ることを予感していたと思います。それでたまたま信頼できる人が来たということ。まず撮らせてくれた。」
沖縄でドキュメンタリーを撮り続けた野村さんは映像製作会社の設立にも関わりました。そこには南国独自の文化に心惹かれた他にも理由があったのです。
映画「ふじ学徒隊」より 父 宣岳さん 山部隊の集合写真
野村岳也さん「父親がチャップリンが好きで、チャップリンの真似をして上手だった。沖縄へ出征する前夜の家庭演芸会でもチャップリンをやった」
軍医だった父は1945年の沖縄戦で激戦地本島南部で6月下旬に戦死したとみられています。ただ詳しい最期は分かっていません。父親の最後の地を一目見たいと思ったのがきっかけとなり沖縄を製作の拠点とした野村さんは、よりこだわった作品づくりのため13年前に、新たな映像製作会社「海燕社」を立ち上げました。
先月、海燕社の作品がうるま市で上映されました。本部町・瀬底島伝統の「むんじゅる笠」です。麦わらと竹を材料に畑作業や琉球舞踊で使われる笠作りの名人大城善雄(おおしろ ぜんゆう)さんの生前の姿を中心に瀬底の歴史や文化を描きました。
あまわりパーク澤岻道子さん「今まであった大切な文化・伝統だったりをぜひ伝えるきっかけをつくっていけたらと思って開催することにした。」
善雄さんの甥大城勇さん「小さな島国の中での文化を継承していく映像を通して子々孫々残っていけばいいかなと思う」
会場には海燕社スタッフの姿がありました。城間あさみさんと澤岻健(けん)さんの2人です。映画製作だけでなく物販などにも汗をかきながら会社の運営を続けています。
海燕社澤岻健さん「残したい沖縄ということをテーマに地域の伝統芸能であったりとか綱引きであったりとか、あるいは獅子舞であったりとか、そういう文化的なものを映像として残すというのをメインにやってきていて」
海燕社城間あさみさん「言い方を変えると、消えそうな沖縄を消えてほしくないっていう思いを込めて私は映像の力でそれを皆さんに伝えたいという思いで作っている」
海燕社の原点が詰まった作品があります。設立して初めて手掛けた2012年の映画、「ふじ学徒隊」です。現在の那覇市牧志にあった仏教系の私立学校、積徳高等女学校。78年前の沖縄戦では校章の藤の花から「ふじ学徒隊」と呼ばれ看護学徒として豊見城の野戦病院に配属されました。
海燕社では会社がある豊見城での沖縄戦について調べていたなかで「ふじ学徒隊」の存在を知りました。
海燕社城間あさみさん「本当に長く映像製作していると沖縄って何を描いても沖縄戦にぶつかるなということで、野村監督と話しをして、同じ意見でしたので、沖縄戦をしっかり描きたいと」
ひめゆりや白梅をはじめ、多くの女子学徒隊が半数やそれ以上の戦死者を出したなかで、ふじ学徒隊は25人中、3人にとどまりました。本来は56人いた学徒たちですが、隊長の小池勇助軍医は本島が激戦となる直前、このまま従軍するか除隊かを選ばせました。その結果31人が親元へ帰り25人が従軍しました。」
従軍した真喜志光子さん「忠君愛国とか国のためにとか、そういう教育を受けてきた」
除隊した 平良ハツさん「家族は祖父母と母だけが残っていたから自分は「帰して下さい」と(調書に)書いた。」
戦況が悪化するにつれ学徒たちも過酷な体験をしました。6月下旬、小池隊長は学徒隊を解散し、最後の訓示を行います。
田崎芳子さん「大丈夫だから(壕から)出て行って必ず親元に帰ってと言わばお別れの訓示」
生きて帰れと訓示された「ふじ学徒隊」ですが戦後、違う苦しみを背負うことになります。
QAB2012年 映画公開リポートより 真喜志光子さん「ここの女学校は何人亡くなった。これを聞いたらなんで生きたかと申し訳ない気持ちでした。」
それでも同窓会の高齢化が進み合同慰霊祭も終わることになった2011年、過酷な戦争体験を若い世代に伝えたいと海燕社が相談した映画製作とインタビューを元学徒たちは受けることにしました。
同窓会会長新垣道子さん「今まで言えなかったことを、今だから言ったらいいのではないか。真実を話したらいいのではないかと。今度の映画で真実を話すことになっている。」
仲里ハルさん「地上戦の恐ろしさと野戦病院の虚しさ。これだけは世界中の人に聞いてもらいたい。」
様々な立場や思いのあるたくさんの証言を48分間の作品にまとめました。
海燕社 城間あさみさん「私も戦争体験者ではないけど戦争体験のない若い世代に伝えたいということで短編にするっていうことと学徒の皆さんの声を届ける、シンプルに届けるという」
映画監督「野村岳也」2016年より、口数は少なかった野村さんは生前、自らのルーツでもある久高島でこんな言葉を残していました。
海燕社野村岳也さん「生きている人は生きているし死んでいる人は死んでいる。時の流れを感じる」
自身も、つらい体験を語ってくれたふじ学徒の多くもこの世を去った今大きな時代の流れに時にはあがらい、時には身を任せ生き抜いてきた市井の人々の思いや伝えたい言葉を映像として残した野村さん。その意志を継ぐ城間さんや澤岻さんはふじ学徒隊の上映を毎年続けています。
海燕社では今度の日曜日、11日に、ふじ学徒隊や野村監督に関する映像の上映会を県立博物館美術館で行います。予約制ですが、小中学生は無料で見ることができます。詳しくは海燕社のホームページやSNSをご覧下さい。
海燕社の小さな映画会 Qリポート 「ふじ学徒隊」映画製作への思い