今を生きる私たちが、沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINE・おきなわ」です。きょうのテーマは「プロレス」です。
県内唯一のプロレス団体、「琉球ドラゴンプロレス」が旗揚げから10周年を迎え、その記念大会が行われました。プロレスを沖縄に根付かせ地域貢献にもつなげたいと汗をかくプロレスラーがリングに馳せる思いと夢とは
鍛え上げられた力と技!!会場を盛り上げるパフォーマンス!!そして、レスラーが背負った宿命と因縁のストーリー。リングで繰り広げられる物語に観客は魅了されます。
アスリート、エンターテイナーの間を自由に行き来する琉球ドラゴンプロレスは先月末、那覇市で旗揚げから10年の記念大会を行いました。県内唯一の団体を牽引してきたのはグルクンマスク。大阪出身の51歳。
グルクンマスク「僕らはプロレスが好きだし、好きな気持ちを人に伝えられるすごく特殊で良い仕事だと思うので、それを(後輩たちに)全うしてもらいたいし、沖縄でプロレスをやっているという意味を考えて盛り上げてもらいたい」
このドラゴンプロレスの前にも沖縄にはプロレス団体がありました。県のベンチャービジネスサポート事業に選ばれ2008年に創設された「沖縄プロレス」。県外の団体・レスラーたちが沖縄に新たなエンターテインメントをと地元にちなんだマスク選手を中心に活動。那覇市の常設リングなどで興行を行いました。
当時グルクンダイバーという名前でリングに上がっていたグルクンマスク。プロレスラーデビューは30歳過ぎ。家族もいる中で沖縄に移住しました。しかし「沖縄プロレス」は集客で伸び悩み、運営難から2012年に撤退。レスラーたちの多くは活躍の場を求め、県外へ戻っていきました。
その中、グルクンマスクは。
グルクンマスク代表「沖縄はまだプロレス文化が芽生えていないというか、僕たちが育てて行きたいなというふうに思ったのと、沖縄のお客さんはすごく素直に楽しんで下さる方が多いので僕はこの場所でプロレスをずっとやりたいなと思った」
沖縄プロレス時代からの仲間や新たなレスラーたちと翌2013年に立ち上げたのが「琉球ドラゴンプロレス」です。県内各地へ出かけ、貴重な収入源となる興行を行ってきました。
街中や商業施設、時には海や洞窟などでプロレスの魅力そして団体の存在をPRしています。沖縄市の中央パークアベニュー。その通りの並びにあるのが、琉球ドラゴンジム。団体の拠点です。もともとは洋品店だった場所を改装しているためリングを置くと試合や練習には十分な高さがありません。それでもこの場所を選んだ訳があります。
グルクンマスク代表「僕はここに来る時に街のにぎわいの一つになりたいなというのがあったので 大会をチャリティーでやったりとかで沖縄市と社会福祉協議会と連携というのがあったので友だちや知り合いも沖縄市に多かったので僕にとっては渡りに舟だった」
琉球ドラゴンジムではリングを活用して子どもたちから社会人まで体づくりをしながら親しんでもらうプロレススクールを開いています。さらに併設しているジムではレスラー直伝のパーソナルトレーニングを一般向けに行っています。一番はプロレスを身近に感じてもらうきっかけづくりです。
まえだみさき選手「ここは何だと足を止めてもらってプロレスの何かなのかなと、応援というか(試合に)来ていただけたら何より」
レスラーたちとの距離の近さが子どもたちを魅了し親子連れのファンを増やしています。
親子連れのファン「生で子どもたちが見て迫力に感動して選手たちがみんな優しいのでそれからハマって月に1回くらい見に来ている」
親子連れのファン「体がちょっと弱かったので体を鍛えさせるためもあって(試合やスクールに)連れてきたらはまりすぎて」
そしてリングの外では営業活動に汗をかきます。この日は旗揚げ10周年記念大会を前にスポンサーの店舗でのPRです。
スポンサー企業社長新垣友教さん「スポーツの力はWBCもそうだが人々にコロナ禍からの復活や力を与えると思うのでぜひ(琉球ドラゴンプロレスに)頑張ってもらってプロレスも飲食店も元気になって頑張りたい」
団体10周年記念大会を最後に、グルクンマスクは去年レスラー休業を宣言。今年52歳になるベテランは運営に回りレベルアップしている後輩たちにリングを託すことを決めています。最後の試合になるかもしれない大会に本人はもちろん若手も気合が入ります。
糸満市出身 ウルトラソーキ選手「(中学生の頃に)国際通りで試合しているのをみていたが興奮しかなかった。沖縄のレスラーの一員に早くなりたいって思うようになった」
ティーラン獅沙選手「グルクンさんが休業するまでに意地でも若手の力を見せる。必ず超えたいと思うのでギャフンと言わせてやる」
グルクンマスク代表「これはもう僕が前に出てどうのこうのというのはもうやらなくても良くなってきたのかなということがあったのと、運営に専念しようということ(記念大会は)10年の節目でメインイベントは僕だが「オレが一番だ」とみんなに思ってやってもらいたい、やっぱりプロなので」
記念大会当日。会場は那覇文化芸術劇場「なはーと」初めて試合を行う会場、さらに土日ではなく金曜夕方からの開催と節目とは言え、運営面でのチャレンジもありました。
またドラゴンプロレスではコロナ禍を経て初めて観客の声援を解禁しました。祝儀替わりに、沖縄へ駆けつけてくれた他団体の選手たちも歓声を受けハッスル!!レジェンド藤波辰爾をはじめ、これまでもドラゴンプロレスのリングを盛り上げてくれた実力派レスラーたちがこの日も沖縄のファンを沸かせました。
うちなーんちゅレスラーの2人ウルトラソーキとティーラン獅沙はタッグタイトルのベルトをかけ神戸・ドラゴンゲートのチャンピオンペアと対戦。強力なライバルを相手に見事勝利を上げ王者に輝きました。
ウルトラソーキ選手「沖縄で生まれ育った者同士タッグを組んでこうやってベルトを取れたので本当に良かった」
ティーラン獅沙選手「ここから自分たちが若い世代でどんどん上がっていかないとグルクンさんが安心して休養できないといけないので、もっともっと頑張っていかいといけない」
迎えた大トリの試合。これで休業するグルクンマスクですが、団体のチャンピオンベルトを取り返すタイトルマッチの挑戦者として登場しました。対するは「琉王」チャンピオン、神戸ドラゴンゲート所属のYAMATO。
ドラゴンプロレスのベルトを奪っただけでなく取り返しに来た挑戦者を次々に破り、さらにマスクレスラーの命とも言える覆面を奪い取る暴挙も。強いからこそできる文字通りの「ヒール」役はもちろんグルクンマスクに花道を譲る気持ちなど微塵もありません。
試合は序盤からヒールYAMATOが、グルクンマスクを圧倒。さらにこれまで同様、マスクをはがしにかかります。最後かもしれない試合でグルクンマスクは何と素顔をさらされることに。ワンサイドで終わるか、会場が悲痛な空気につつまれかけたその時
グルクンマスク代表「自分の素がさらけ出された。かっこつけてもしようがないというのもあったしちょっと開き直った部分もあった。」
会場の熱気と応援を背に反撃に転じるグルクンマスク。しかしYAMATOもやられる気はさらさらなく、大熱戦となりました。最後は気力勝負。ここで・・グルクンマスク現役生活の集大成「ムーンサルトプレス!」ついにカウント3!!沖縄のプロレスを支えてきた苦労人が渾身の勝利で記念大会は幕を閉じました。
観客(女性)「熱いとか、痛いとか、そういうところが多いと思うが温かい感じがするところが好き」
家族連れ(お父さん)「タイトルマッチが感動する内容だったのでこれから新しい琉球ドラゴンプロレスになっても応援したい」娘さん「これからも頑張って!!」
グルクンマスク代表「会場や運営のこともそうだし、いろいろな可能性が見えた。収穫だったなと思う。いろいろな琉球と名前のついているスポーツチームがあるが、その中の一つに僕らが堂々と入れるようにそんな存在になりたい」
グルクンさん会場マイクパフォーマンス「おれたちはプロレスが大好きだ!!」
私も宮古島のビーチでドラゴンプロレスを見たことがありますが技だけでなくリング上のドラマも面白いと思いました。
きょうご紹介した大会の模様はドラゴンプロレスのYOUTUBEチャンネルで無料で見ることができます。試合の情報などもホームページ https://rd-pw.com でご覧になってみて下さい。