シリーズ「沖縄と自衛隊」。7回目となる今回は、宮古島の自衛隊弾薬庫について取り上げます。今月に入って、ヘリコプターの事故や迎撃ミサイル・PAC3の配備など、自衛隊を巡るあわただしい動きが連続して起きている島ですが、その裏では弾薬庫を抱えた訓練場で、射撃訓練が始まっていました。地域では沖縄戦当時に日本軍の弾薬の爆発事故も起きており、住民は複雑な感情をかかえています。
平良長勇さん「バーンと音がしたものですから、父の話では大声を出してわめいてうちに入ってきたそうです」
およそ80年前のことを鮮明に語るのは、宮古島市保良に住む平良長勇さん。保良に太平洋戦争当時に駐留していた日本軍が起こした弾薬の爆発事故で、現場からおよそ数十メートルの場所に居合わせました。
軍は当時、集落の近くにあった「キヤマ壕」と呼ばれる壕を弾薬庫として利用していて、兵士らが弾薬を壕に運び込む最中に爆発が起きました。兵士のほか、一緒にいた1歳の赤ちゃんと子守をしていた13歳の子どもも亡くなったといいます。
合併前の旧城辺町がまとめた町史には子どもを亡くした女性の証言が掲載されていました。
「よくみたら私の子は脳が出ておくさ。こんなに流れてよほっぺたには小さい破片がいっぱい入っていたよ。私が連れてきたさ。即死さ」
子どもたちは、日本兵になついていて、事故に巻き込まれた子も、兵士らの近くで遊んでいたといいます。
平良長勇さん「私もキヤマ壕の兵隊さんにだっこされて遊んだり、ふざけていた。(事故の後に)後で父と一緒に行くと、何名かの人が倒れていた。兵隊さんは3人ぐらいだったそうですね」
今は草木の生い茂る、キヤマ壕の跡地から数百メートル離れた場所にあるのは弾薬庫も備えた陸上自衛隊の「保良訓練場」。射撃場もこのほど完成し、自衛隊は4月に入ってから射撃訓練も行われるようになったといいます。
平良長勇さん「聞こえますよ。バババって音とかね。またドーン、ドーンとか機関銃か何かわかりませんけど。こっちは静かなね、雑音も入らないと思うんだけど雑音が入ったらあんまりおもしろくないですね。ない方がいいですね」
弾薬庫には対艦ミサイルの弾薬も運び込まれています。再び爆発事故の危険を抱えることになった保良地区。平良さんも、懸念を自衛隊側にぶつけたといいます。
平良長勇さん「(自衛隊関係者に)もし戦争が始まってね、逃げられないと、どこに逃げましょうかといったんです。山も少ないし、宮古島でね、隠れるところがないんですよね。それで戦争は反対だと、私は思うんです」
台湾有事の危険も語られる中、平良さんのような懸念を念頭においてか県などは先島からの住民避難を想定した図上訓練を実施しました。
ただ、市議会で宮古島への自衛隊配備の問題を追及してきた上里樹(うえさと・たつる)市議は国民保護について無理があると指摘します。
上里樹市議「避難して沖縄本島に行こうが、九州にいこうが、(自衛隊の)基地が300カ所もあるわけですから米軍基地も加えたらもっとありますよね。日本全体が攻撃の対象になるわけで避難したところで安全な場所ってあるんだろうか。なによりも自分たちの暮らしを放棄して、新たな地を求めて、そこで1から人生をやり直すっていうことが、島の住民がそういう選択を全員がとれるとは、私は思いませんね」
自衛隊は当初、4月上旬に保良訓練場の射撃場を市や地元住民、マスコミなどへ公開を予定していました。この動きに、上里さんもメンバーを務める、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会は射撃訓練場の公開への抗議声明を出しています。
メンバー「説明会と称する軍事訓練強行に私たちは抗議します」
ただ、マスコミ公開を2日前に控えた今月6日、自衛隊のヘリが宮古島周辺で消息を絶つ事故が発生します。その影響とみられますが、自衛隊は公開の「延期」を決定します。
保良地区に近い、宮古島東端の東平安名崎。海風が吹き付ける崖の上に、戦没者の慰霊碑がたたずんでいます。観音像のもとにある碑文には次のようにつづられていました。
「この島の守備防戦のために二万五千の将兵が本土より来島していたそして食糧もなく二千数名の将兵がこの地で散華した」
平和の礎に刻まれる宮古島市出身者の数は3、293人。宮古島にはアメリカ軍の上陸こそなかったものの、空襲のほか食糧不足による栄養失調やマラリアなどで犠牲となった住民も少なくありません。
保良の弾薬庫事故で亡くなった2人の子どもも含めて、碑文は住民の犠牲について触れていませんでした。
浜田防衛大臣「自治体との調整が完了した与那国駐屯地及び石垣駐屯地について、所要のPAC-3部隊をですね、展開することとしております」
北朝鮮のミサイル発射の兆候を踏まえ、政府は迎撃ミサイルPAC3の配備を進めています。
宮古島、石垣島、与那国島と民間空港に輸送機を飛ばして、ミサイル車両の搬入を続けています。政府が南西シフトとして、陸自駐屯地を新設した地域と重なります。
上里樹市議「(自衛隊が)入ってきたときに言ったのは、宮古の住民の生命・財産、安全を守るといいましたよ。皆さんを守りに来たんだと、これは戦前・宮古に3万の軍隊が入ってきたとき、いったセリフと同じです」
ミサイルと隣り合わせの生活は、何をもたらすのか。およそ80年前に保良地区で起きた事故は、自衛隊の南西シフトに直面する県民に教訓を残しています。
シリーズ沖縄と自衛隊ですが、次回は来月3日の憲法記念日に、県民と自衛隊の意識や距離をテーマに特集する予定です。