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続いては、ボートレースの話題です。東京で行われたレースで初優勝を果たした県出身のレーサー・上原崚選手。高校時代までは強豪校で野球に打ち込んでいたんですがその経験が今の力、そして目標に繋がっていました。

実況「なんとデビュー初優出で多摩川で初優勝が見えてきました。沖縄出身のボートレーサー、沖縄にボートレースを広めたいと話していた上原!お見事!デビュー初優勝!3号艇上原崚!おめでとう、ゴールイン!」

ボートレーサー上原崚~目指すはボートレースの"甲子園"~

実況からも祝福された歓喜の瞬間!今年2月、デビュー3年5カ月にして初優勝を果たしたボートレーサー・上原崚。

上原崚選手「デビューしてからプロの世界の先輩たちが強くて、最初出た時はちょっとこれは成績悪いと首になってしまうので、それも頭をよぎったんですけど今の自分のことを続けていればいつか結果に繋がるじゃないかと自分の中で自信はありましたね」

那覇市出身の上原選手は、2018年に福岡の養成所に入所し2019年11月にデビューしました。

そこから3年5カ月、登録6年未満の若手レーサーによるルーキーシリーズで優勝戦に初進出すると初めての大舞台にも動じず、得意のスタートを決めます。

ボートレーサー上原崚~目指すはボートレースの"甲子園"~

そして最初のターン。アウトコースからスピードを上げて抜き去る「まくり」と前の舟の内側をついて先行する「差し」を合わせた“まくり差し”という高度なハンドルワークを要する決まり手でトップに立ち初優勝を果たしました。

レースの後には、勝利したレーサーを水へと投げ込む恒例の「水神祭(すいじんさい)」も行われ、かなり冷たいであろう2月の東京の水の中で、優勝に酔いしれました。ただ、ここに至るまでには心身ともにきつい時期もあったといいます。

ボートレーサー上原崚~目指すはボートレースの"甲子園"~

上原崚選手「正直苦しかった時期の方がほとんどですね。僕は養成所の時から一番下の成績だったんですよ、なので同期からは「本当にびっくりした」というふうにすごいメッセージが来て」

同期の選手に比べ結果が出ない中でも、地道に練習を積んできたという上原選手。その原動力となっている思いがありました。

上原崚選手「僕が物心ついた頃から女手ひとつで育ててくれて、お母さんがすごい苦労していたのが小さいながらにわかっていたので(優勝して)「うれしすぎて泣いちゃったよ」と言っていたんですけど、僕もすごいうれしかったですね。お母さんを楽にさせてあげたいという思いがあったのでプロになってからすごく喜んでくれていたので、これからお母さんに親孝行したいなと思っています。ずっと」

ボートレーサー上原崚~目指すはボートレースの"甲子園"~

そしてもうひとつ、力になっていたのが「高校時代の経験」です。

上原選手「本当にすごい生きましたね。僕がボートレーサーになってからは“興南高校の3年間”というのは、身体的にも精神的にも成長できて」

上原選手は高校では、強豪・興南野球部で汗を流していました。ただ、同級生だけでも64人の部員がいた代で、ベンチ入りすることはできず、甲子園出場も叶いませんでした。そんな上原選手だからこそ、今強い思いを抱く大会があります。

上原崚選手「僕が興南高校に在籍した3年間で1回も甲子園に出られなかったので分野は違うんですけど“ボートレース甲子園”に自分が代表として出て」

ボートレーサー上原崚~目指すはボートレースの"甲子園"~

ボートレース甲子園開会式「選手入場!」「北から南へ地域の精鋭が行進してまいります令和とともに幕を開く記念すべき第1回ボートレース甲子園。古里を誇りとする人々の思いを形にする大会です」

2019年から始まった「ボートレース甲子園」出身地別に各都道府県から成績上位の代表1人が出場できる大会で上原選手は高校野球で果たせなった“新たな甲子園”を目指しています。

上原崚選手「そこで優勝なんてできたら本当にすごいことだと思うので僕の一番の目標はそれに出て優勝することです」

初優勝を果たし、これからますます活躍が期待される上原選手。最後に、ボートレーサーとしての「夢」を聞きました。

上原崚選手「僕が活躍して名前を売ればみんな知ると思うのでそこからボートレースの面白さを知ってもらって沖縄でボートレースが活性化していってほしいというのが一番の夢ですね」