陸上自衛隊のヘリコプターが沖縄県の宮古島周辺で消息を絶った事故で4月13日夜に捜索が続く海域で機体の一部とみられるものと搭乗していた隊員とみられる姿が見つかりました。
人の姿は「複数」という情報もあり自衛隊が確認を急いでいます。現場から中継です。
濱元記者「画面奥の宮古島北側の海上では、4月14日朝から潜水艦救難艦「ちはや」など自衛隊の船3隻が集まって捜索活動が行われています。時折、船からゴムボートを降ろして周囲を見て回ったり、船から四角い箱のようなものを海中に入れたり、引き上げたりしていました。」
政府関係者によりますと4月13日午後10時ごろヘリが消息を絶った地点から近い伊良部島の北側の海域を捜索していた時に海上自衛隊の掃海艦「えたじま」がヘリコプターの機体とみられるものと複数の隊員とみられる姿を見つけました。
4月14日は海中の様子を捉えることができる無人の潜水機などを使って現場を確認する作業が進められていました。さらに、自衛隊の船では午後から、水圧が高くなる深い場所でもダイバーが捜索をできるようにする「飽和潜水」に向けた準備が始まりました。
消息を絶った機体は熊本県に司令部を置く陸上自衛隊・第8師団に所属する「UH60JA多用途ヘリコプター」です。25年前の1998年に導入されたもので飛行時間は2600時間と耐用年数の半分以下となっていました。
先月20日から28日にかけて飛行時間が50時間に到達したことから機体の点検が行われていてその際、異常は確認されず、問題ないと判断されていました。
また、機長と副操縦士の飛行時間は3000時間と500時間で陸上幕僚長は「2人とも経験豊富で問題ない。機長はベテランと呼べる経験時間があり、副操縦士も経験が少ないとは思わない」と説明していました。
池間島の住民「なんとか生きて見つかってほしかった。一番に思ったのが隊員さんの家族のこと、一刻も早く家族のもとに戻れたらいいなと」
陸自ヘリ不明で捜索が難航 波や風の流れや複雑な海底の地形が要因か
4月13日夜に機体が見つかったかもしれないという一報が入ってきた時には現場に緊張感が走りました。事故から1週間、消息を絶ったヘリや搭乗していた10人について有力な手がかりがつかめず捜索が難航していた背景には現場海域を通る潮流の影響や海底の複雑な地形が大きく関わっていたようです。
第11管区海上保安本部・木村琢磨さん「(事故発生当時は)潮流による強い・速い流れと、あとは「黒潮」と呼ばれる海流から派生して入り込んできている速い流れ、さらには風によって起こる、強い・速い中でのその3つがミックスされることによって複雑な流れが発生したものと想定しております」
海の地形や天気などを調査・測定をして、船が航海するの時に使う地図「海図」の作成も担っている海上保安庁ではこれまでに得た知見をもとに風や波の流れを読みながら行方がわからなくなったヘリの捜索を自衛隊と協力して実施してきました。
捜索が続く池間島と伊良部島の間の海域には3つの特徴があるといいます。
1つ目は「潮の流れ」です。潮の満ち引きのことで時間帯によって向きが変わるうえ島々に囲まれているために流れが速くなるという特徴があるといいます事故が起きた4月6日は「大潮」だったために満潮と干潮の潮位差が大きく潮の流れも強くなる日でもありました。
2つ目は風が吹くことによって起きる「吹送流」という海面の流れです。4月6日午後4時ごろは北向きの風が吹いていました。その日の夜まで風向きはあまり変わりませんでしたが、翌日の午前中に南向きの風に変わっていました。海の漂流物は形状などから風と波のどちらの影響を受けやすいかによって流されていく方向が変わるといいます。
最後に3つ目は、現場の北側を流れる海流「黒潮」です。時速5kmで宮古島の北側約60kmを東の方向に強く・速く流れ続けていてそこから派生した流れが宮古島の方に向かっているといいます。
「潮流」・「吹送流」・「海流」が複雑に絡み合うため漂流物がどこに行くのか先読みすることが難しいということです。海図を見ると水深20mの範囲が6kmほど続いたあと沖に向かって2kmほど進むと水深が100mや150mと表示されるなど水深が急激に深くなる崖のような地形になっていることもわかります。
第11管区海上保安本部・木村琢磨さん「この緑色の部分が、サンゴ礁を表しております。この沿岸部、大体、太陽光が入るところはサンゴ礁が発達しておりまして、そこから先のところにも、実はサンゴ礁がもう石灰化してるというか、岩状の塊が分布してるような海域にはなっております」
酒井良海上幕僚長「海底地形などが複雑で、サンゴによって複雑で、ソナーで探したものもすべてUUV(無人潜水機)で確認しておりますので、時間等かかっています」
音波を使って水中や海底の物体について情報を集める作業が行われていましたが「機体なのかサンゴの岩礁なのか見分けがつかない」というのが実情で詳細の確認に時間がかかったということです。
複雑に絡み合う潮や風の流れや海底の特殊な地形があいまったことが捜索を難航させた主な要因にあげられていました。
記者解説 陸自ヘリ不明 これまでの振り返り 今後は海底の確認と引き上げか
ここからは、捜索現場の取材にも行った寺崎アナとともにこれまでの経緯などを振り返っていきます。海で見つかった機体の一部などをまとめました。
燃料タンクの一部とみられるものやドアの一部と思われるものなどが回収されています。発見・回収されたものを見ていくと4月7日に見つかった「救命ボート」は袋に入ったまま開かれていない状態でした。製造番号から消息を絶ったヘリのものだったことが判明しています。
伊良部島の北側の沿岸で見つかった「ヘルメット」はシリアルナンバーからヘリに搭乗していた人のものだったとわかりました。そして、4月12日には機体の前の部分にあたる「ノーズドア」という部品には消息を絶ったヘリ機体番号とみられる数字が記載されていました。
玉城アナ「陸自のヘリは何をするために飛行していたのでしょうか?」
地形などを確認する「航空偵察」がのために4月6日午後3時46分に空自の基地を離陸したヘリは宮古島の周辺を1時間半ほど飛行して戻ってくる予定でした。
しかし、離陸から10分後の午後3時56分に宮古島を北上して池間島をまわった後伊良部島の北東の海域で機影がレーダーから消えました。
離陸から消息を絶つ10分の間に宮古島市内の複数の場所で事故機とみられるヘリのようなものを捉えていました。
QABでは4カ所で撮影された映像を入手できました宮古島の中央部にあるレンタカー会社の防犯カメラが午後3時47分に撮影した映像です。離陸からわずか1分後にあたり、黒っぽい機体のようなものが画面右から左に向かって水平に飛んでいきました。当時店内にいた従業員はこの時間に大きな物音などが聞こえることはなかったといいます。
mrcレンタカー宮古島店のスタッフ「(普段は)音に気づいて、あっ、ヘリだって見たりもするんですけど、全然気が付かなかったです」
離陸から5分後、宮古島の北部にある防犯カメラにも上空を飛行するヘリのようなものが映っていました。それから約2分後、池間島の防犯カメラには何かが上空を飛んでいるような様子を捉えていました。
ほぼ同時刻に池間島の別の場所で撮影された映像には伊良部島の方に向かって南下する様子も捉えられていました。いずれの映像も飛行していた物体に異常が起きていたような飛び方をしている感じはしませんでしたね。
ヘリが消息を絶つ2分前には下地島にある空港の管制官と交信をしていたこともわかっていて緊急性をうかがわせるものではなかったそうです。こうした状況をふまえると機影がレーダーから消える直前まで機体に異常はなかったことがうかがえます。
玉城アナ「大きな焦点となるのは、交信を終えて消息を絶つまでの「2分間」となりそうですね。」
この間に何が起きたのか原因究明のためには飛行記録をたどれる装置「フライトレコーダー」を見つけることも急務といえます。
ヘリには第8師団を指揮する坂本雄一師団長が搭乗していたほか操縦士2人、整備士2人など合計10人が搭乗していました。そのなかには、宮古警備隊の所属者1人が乗っていたこともわかっています。
ヘリの行方がわからなくなった直後から24時間態勢で夜通し自衛隊や海上保安庁などが捜索を続けてきました。有力な手がかりがなく膠着状態が続いていたなか4月13日夜に急展開を見せました。4月14日は、機体や隊員とみられる海底で見つかったものを詳しく確認する一日になったという印象があります。
現場の濱元さん、海で続けられている捜索などは今後、どう進んでいくんでしょうか?
濱元市晋一郎記者「4月14日は深い場所を確認するための「飽和潜水」に向けた準備が念入りに整えられていました。地元の漁業関係者によりますと隊員と機体とみられるものが見つかった地点は水深が70mから100mに及ぶということです。実際にダイバーが海に入るのは4月15日以降になる見込みで、その後は、機体を海から引き上げることになるとみられています。なぜ、ヘリが消息を絶つような事故を起こすことになったのか自衛隊では調査委員会を立ち上げて原因究明を進めています。」