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今を生きる私たちが沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。今回は、ある人物にスポットをあてます。先月QABで放送しました番組「デコテレ」に、ゲストとして出演された、ryuuchellさんです。

バラエティだけにとどまらない、幅広い活動を続けるryuchellさんに、インタビューを行いました。ふるさと沖縄への特別な思い、そして、未来に向けたryuchellさんの今がそこにありました。

ryuchellさん「本当の比嘉龍二っていう部分と、人前に出してるryuchellが交わっていって、どんどんまた見たことない自分に進化していって、でも、どんどん自分に近づいていってるというか、不思議な感覚ですね」

Q今、比嘉龍二とryuchell、何%対何%ですか?ryuchellさん「そうですね、でも、本当に半々というか。50パー50パーぐらいかもしれないです」

ryuchellこと本名、比嘉龍二さん。バラエティ番組への出演をきっかっけに人気に火が付き、現在、自ら興した株式会社比嘉企画の代表を務め、タレント活動の枠にとらわれない幅広い活躍をみせています。

その人気はすさまじくSNSの総フォロワー数は脅威の285万人にも上ります。(Instagram121万、Twitter119万、YouTube45万 2023年4月時点)

「ryuchellと比嘉龍二」

去年8月に「新しい家族の形」としてコメントを発表し、現在、一児の父として育児や多様性に関する発信が注目を集めています。そんなryuchelさんですが、年々、比嘉龍二としての自分とryuuchellとしての自分が重なってきていると言います。

ryuchellさん「昔は特にryuchellっていうのは人前に出すもの、商品であり、やっぱり皆さんに元気を与える、笑ってもらう、楽しんでもらう何かを届けるとか。」「世に出る意味があるものというか、そういう意味で自分ですし、何かブランディングを立ててやったのかなと思うんですけれども、年々年々日に日にどんどん交わっていってます、比嘉龍二とryuchellが」

「でもそれは時代もあると思います。やっぱり素の本当の姿みたいなものをやっぱり求められるようになったり、求めるようになったり、時には大変だけど、そういう本物っていうものとか、飾らないっていうところに価値があるような、そういう時代になってきたなというか。ちゃんと、完璧でっていうよりも、完璧にブランディングしされてるってよりも人間味があってもいいんじゃないかとかそういうところに価値があるような。芸能でもそういうふうな時代になってきてるのかなって思うんですけど」

1995年に生まれ、現在27歳のryuchellさん。中学時代は、自身の個性を押し殺して生活していたというりゅうちぇるさん。

ryuchellさん「自分の個性はずっと個性ではなく、ただの人と違う人普通じゃない人って言われるものなんだな、一生多分自分のことをこれは個性的で誇れるものなんだって思うことはないはずなとか、そういうことはやっぱり特に中学生時代は思ってたんですけど」

転機となったのは、学区外にある高校へ進学し、自らの個性を出し始めてからでした。

高校からちょっと学外の学校に行ってみて人生変えてみたいなっていうか、自分も自分で結局いろんな人のことを気にして自分を出せてないさあと思って、1回一か八かやってみようと思って自分を相当出して、もう体現もしてファッションやらメイクやら何やら高校生からやってたんですけれども、さっきのVTRでも写真が上がってたみたいに本当個性を爆発させた。メイクも女子より濃くて二つカンプーとかして学校行ってみたいなバービーのリュック持ってからヤバいやつだなーみたいにちゃーいわれーしてたんですけど、でもすごいそれで本当の友達とかいっぱいできて、すごい楽しくなりましたね。」

その個性はやがて、バラエティ番組で大きく花開くことになりました。

ryuchellさん「ずっと結構個性的だねって学生時代からよく言われてたんですけど、それで褒めていただくこともあれば、やっぱちょっとディスられるじゃないけど、ちょっと浮く浮いてしまうっていう、ちょっとからかわれるみたいなそういうのもあって、自分の個性っていうものを自信がなかったんですけれども、バラエティーって個性がないといけないし、やっぱりやってみて自分に向いてるのかもしれないなと思って10代の頃はがむしゃらに頑張ってましたね。」

順風満帆とも思える芸能活動でしたが、実は何度も辞めるか続けるか迷っていたと言います。

ryuchellさん「私、何回も実はもう無理かもしれんやめようかな。もう、もうちょっと人前に出るのしんどいからもう明日からやんばるに住もうかやみたいな、いっぱいありましたよ、私だって」

しかし、ryuchellさんは今、ある覚悟をもって人前に立つことを決めていました。

それは。

「芸能活動を続ける意味自分らしく生きるきっかけに」

ryuchellさん「ryuchellみたいな人がいるから世の中が変わってくんだよとか、本当にちゃんと自分の人生あなたの人生素晴らしい、あなたがいることで本当に大きく良く変わるから本当に意味があることだから頑張ってよとか、そして自分自身がryuchellっていう存在がいてくれるおかげで自分らしく生きれるようになったよとか、私知らない間に何かを体現できてたり世の中って言ったら大げさだけど、人にそういう気持ちよく生きれるきっかけを与えれてたんだと思うと、もう簡単にはやめれないですし、そういう方が1人でもいいから私は表に出続け自分らしく生きてるつもりだけど、それが体現していることなのであれば、私はやっぱり人前に出る宿命なんだと思うし、簡単にはやめられないなと思いますね。」

「ryuchellさんが描く「新しい家族の形」とは」

ryuchellさん「それこそ私が小さいときに親も離婚していて3歳のときだったんですけれども。でも、お母さんとお父さんと会えていてお互いから愛をもらって育ったんですね。家族の形って本当にいろんな色があると思うんです。愛の形だってそうだし、だから本当にその形に合わせた色の愛みたいなものを見つけていくっても育てていくっていう感じに近いかなと思うので。うん、あの。何も親を開け、親をやめたわけでもないし、そんなこと言わなくてもわかってますね、あの愛っていうものそのそれぞれの形にある、あの普通に例えばお父さんとお母さんが当たり前の家に行っている子供の環境の家族でも全く違う愛の形っていっぱいあると思うんですよ。そういう家庭同士でもなので本当にそれぞれの愛の形というものを育てていけたらなと思ってます。」

「愛を育てていく」

めざましい活躍をみせるryuchellさんですが、去年の6月23日の慰霊の日にSNSでこんな投稿をしていました。

「6/23 慰霊の日。戦争体験者も減っている中”戦争なんて昔の事だ”と思う方もいるかもしれないけど、同じ悲しみを繰り返さない為に、今を生きる僕たちが受け継がないといけない想いと、行動すべき事があります。正午0時、戦没者の方にご冥福と共に、平和を守り続ける意志を誓い、うーとーとーしましょう。」ryuchellさんのTwitterより

言葉を綴ったその胸の奥には、沖縄を離れたからこそ感じた、ふるさとへの思いがありました。

「慰霊の日を知らない人へ受け継いでいく平和への思い」

ryuchellさん「東京に上京してきて、まずやっぱり当たり前に聞こえてたヘリの音とかそういうのもないし、フェンスもないし、東京も東京で大変なことはあるはずだけど沖縄とはまた違うなってやっぱり感じてたんですよね。そんな中で慰霊の日とかを知らない若者たちとかがいっぱいいる、上の世代の方でも慰霊の日を知らない。」

「私達はやっぱり平和学習とか盛んにやってきてるじゃないですか月桃のね、歌を習ってから、ムーチ―食べて、そんなちっちゃいことでもやっぱり重要な日だな平和にならんとな黙祷しないとなっていう習慣があるわけじゃないですか、あっちにはない。」

「だから平和を祈るって沖縄だけじゃなくてみんながやっぱりやった方がいいことじゃないかなって思うことだったので、ずっとSNSでもその日は発信するように心がけていて、それでやっぱり沖縄以外の方でもね、それを知って確かに1年に1回でも平和を祈る日があっていいなっていうふうな反応をいただくようになってね。なので、それ自身それ自体もやっぱ続けていきたいなって思っていますし。やっぱそれこそ戦争体験者ってもう本当にどんどん少なくなって、いなくなっていってしまう。そんな中で一番大事なのはすごくつらかっただろうに、私達に戦争の体験を話してくれた人たちの思いをちゃんと受け継いでいかないといけないって思うんですよね。」

平和への思いをめぐる原体験は、小学生の時に目撃した沖国ヘリ墜落事件でした。

「目撃した沖国ヘリ墜落の現場」

ryuchellさん「長田のブックオフに行ってから見ましたね。長田のブックオフでみました。ぐるぐるしてすぐ落ちて放課後だったんですけど、友達と小学校のときにお家に帰ったらもう全国ニュースになってて、お母さんにこれさっきなってた、みた!みたいな感じで言って、本当に私は中部出身で中部育ちで、あの生まれは普天間なのでそういう意味でもやっぱすごく近いところでずっと育ってきたから他人事じゃないっていうふうには思いましたよね改めて。」

悲惨な地上戦を経験し、今も多くのアメリカ軍基地がある「沖縄」の出身者として平和を発信すること、そして、ふるさとのため、家族のためにこれからも沖縄での活動を積極的行っていきたいと話します。

「ふるさと沖縄での活動地元のため 家族のため」

ryuchellさん「やっぱり地元なので、その地元からこういうお仕事をいただくっていうことは、まずとっても素直に嬉しいですし、何か地元が少しでも盛り上がるようなきっかけになれたらなっていう思いと、親孝行できたらなみたいな家族が沖縄には住んでるので、見てくれるので、うん、そういう気持ちとかありますね。」

Q最後にryuchellさんにとって沖縄はどんな場所?

ryuchellさん「でも1回沖縄から離れてみて、沖縄の魅力に気づいたんですね。沖縄の温かさとかでもすごく特殊な文化もある。良くも悪くもと思ってて私は絶対に沖縄のこういう部分がとっても誇らしいような、受け継いでほしいよなっていうふうに思うのももちろんあるけど、変えていかないといけない、解決させていかないといけない問題や文化も残ってると思っていて、なのでこんなにいろんなことがちゃんぶるーしてる、やっぱり島はないなってすごく思うんですよね。だからこそ味があるけど、なので何て説明したらいいんだろう。私がやっぱり育った街だし、生まれて育った町なので、そういう良いところはもちろん伸ばしていきたいし、課題は見詰めていきたいなっていうふうにはすごく思ってますね。」