シリーズでお伝えしている「沖縄と自衛隊」。5回目となるきょうは、今月16日に開設した石垣駐屯地についてお伝えします。
山里節子さん「防衛省がここに基地を建設するって宣言してから足かけ8年目と思いますけどその間、一晩として安穏と過ごしたことないし、極めつけのところに、今日迎えていると思う」
2週間前、石垣島に陸上自衛隊の新たな駐屯地が開設されました。駐屯地の前では、戦前のような状況に陥ってると不安を覚える市民らが抗議の声をあげます。
山里節子さん「太平洋戦争を体験した者の一人として、いかにこのことが太平洋戦争の繰り返しにすぎないか」
駐屯地の前で自衛隊員に思いを訴える山里節子さん(85)。沖縄戦で家族8人のうち母や妹を含む4人を亡くしました。旧日本軍によってマラリアがまん延する森の中へと追いやられた辛い経験を伝えようと節子さんはマイクを握ります。
山里節子さん「私の母は同じ日にマラリアで倒れますけど、彼女は免疫力がなかったか。悪性化して、帰らない人になってしまいました。その前に妹は自分の屋敷内に作られた、第32軍がきて防空壕を構えた。その壕の中で栄養失調で死んでしまいました」
節子さんには、石垣島にやってきた自衛隊の姿が、かつての旧日本軍と重なって見えていました。
山里節子さん「そういうふうに住民の命を危険にさらしておきながら、自分たちに不利なことは全てフタをするっていうね。それが一貫して、今も昔も何も変わらないんじゃない」
78年前の悲劇を体験した節子さんだからこそ、市民の声をないがしろにして突き進む政府に怒りが募ります。
山里節子さん「理屈抜きになんとしても、(島の軍事化を)ここで食い止めたり、せき止めたりしないと、ものすごい悔いを私たちは残すと思います」
新設された石垣駐屯地には早朝から隊員らの車両が連なります。この駐屯地には、地対艦・地対空ミサイル部隊など合わせておよそ570人が配備されることになっています。
自衛隊車両のハンドルを握るのは、石垣島出身の上盛達也(うえもりたつや)さんです。
上盛さんは、石垣島の高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。沖縄本島と千葉県での勤務を経て、石垣駐屯地の開設を機に、ふるさとへ帰ってきました。
石垣島出身の自衛隊員 上盛達也さん「やっぱり生まれ育ったところに戻ってくれるっていうのはすごい嬉しい。いろいろな方々から頑張ってとか、そういう声もいただいてる。また、反対派の方もいるとは聞いてますが、そこもご理解いただけるようにこれから暮らしなり、訓練、勤務なり、励んでいきたい」
上盛さんの妻、奈津希さんも石垣島出身です。自衛隊配備をめぐって、賛成と反対に揺れる島の状況に不安も感じています。
奈津希さん「例えば今回もこのようなテレビに出ることも正直ちょっと心配ではあります。私の目の離れているところで何か言われたりとか。親御さんがもしかしたら反対の方がいらっしゃって、同じ学校に通学することになったときに、何か嫌なこと言われないかと。そういったことはありますけど、子どもたちには、「お父さんはすごく立派なお仕事をしているので、全然気にしなくていいんだよ」と教えてはいます」
自衛隊を島民を守ってくれる存在として理解してもらい、一緒に暮らしていきたいと願っています。
奈津希さん「島の方も自衛隊の存在をみんなで理解しつつ、一緒に暮らしていけたらいいなと思っております」
石垣島出身の自衛隊員 上盛達也さん「島を守っていけるような陸上自衛隊石垣駐屯地になればいい」
石垣駐屯地の井上雄一郎司令官は、「体制が整った」と駐屯地開設の意義を強調します。
石垣駐屯地 井上雄一郎司令「南西地域1200キロに及ぶ陸上自衛隊の空白地帯。領土において空白地帯が長年続いてまいりました。その後、宮古、奄美、そして最終的に石垣島と、これで体制が整ったという意味では非常に意義がある」
政府がいわゆる「南西シフト」の方針を打ち出して以降、与那国島、宮古島、鹿児島県の奄美大島へと陸自配備が進んできました。石垣島への配備計画が動いたのは8年前です。当時の若宮防衛副大臣が石垣市に配備計画の受け入れを要請しました。その3年後に自衛隊の受け入れが正式に表明されました。
2018年石垣市 中山義隆市長「(自衛隊配備について)当初から必要性については理解をしていました。住民の皆さんの意見も聞かせていただいた中での判断というところです」
しかし、「陸自配備の賛否」を問うため市民らが立ち上がります。
2018年金城龍太郎さん「純粋に意見を言うのがダメみたいな雰囲気が流れているのがすごく寂しいです。島の意見をみんなで出す署名運動になればいいなと思います」
陸自配備の賛否を問う住民投票の実施を求めて署名活動を実施した金城さんたち。しかし、住民投票は今も実現していません。金城さんらは今、市を相手に住民投票を求める法廷闘争を続けています。
政府は去年12月に閣議決定した安保関連3文書の中で、「スタンドオフ・ミサイル」と呼ばれるより射程の長いミサイルに改造する計画を立てて、「反撃能力に活用する」ことを打ち出しました。
駐屯地が開設されたその日、石垣市議会では、長射程ミサイルについての質問が。
石垣市議会 花谷史郎議員「長射程ミサイル、石垣島に配備されることについて、説明を受けないと分からないという話もあったかと思いますが、市長のお考え、答弁をお願いします」
石垣市 中山義隆市長「お答えいたします。長射程ミサイル、いわゆる敵基地攻撃能力のあるミサイルの開発については政府が方針を発表したところではございますが、現状、石垣市については配備の計画はないと認識しております」
これまで専守防衛としていた方針から反撃能力を持つ長射程ミサイルが配備される計画が打ち出された今、島が標的になるかもしれないと市民らは危惧しています。
駐屯地の開設から6日後に開かれた住民説明会の場で、長射程ミサイルについての質問が飛び交いました。
説明会の参加者「この長距離ミサイル?これもまだ決まってないとか。もう本当に脅威なんですよ。専守防衛じゃないんですよ。(駐屯地の)そばに住んでいる人は。24時間このことが頭にずっと残っていて、眠っているとき以外はずっと畑仕事をしているときにも頭から離れないんですよ」
説明会の参加者「相手の基地まで飛ぶような長射程ミサイルを配備するんだったら、これは自衛隊に賛成する人でも、反対する人でもこのことについて容認できないような気がしています」
防衛省の担当者回答「スタンドオフミサイルについて具体的な配備先というのは決まってございません」
長射程ミサイルの配備について防衛省は「配備先は決まっていない」と答えることしかしません。小さな島の中で、一人は自衛隊員として、もう一人は戦争を体験した市民として、それぞれ島の未来にかける思いがそこにあります。
石垣島出身の自衛隊員 上盛達也さん「子どもたちの将来、何があっても守っていけるように、子どもたちを守るイコール、島民を守ることにも繋がると思うので、その気持ちを忘れず、子どもたち、島を守る、そういう気持ちを持って勤務していきたいと思います」
山里節子さん「島社会っていうしがらみに縛られて、その思いを表に出すことの難しさ。先の戦争で犠牲になった人たちも一緒にね、自分の胸の中に息吹いてくれて、もっともっと琉球の昔の人たちがこの島をどのように愛してきたかっていうことも含めて、全てをバックボーンにして、戦い続けていきます」
78年前の悲劇を繰り返さないための自衛隊配備なのか、それとも、自衛隊配備そのものが悲劇をもたらしてしまうのか。今、それぞれの立場から発せられるで声で島は揺れています。