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78年前の沖縄戦で集団自決に追いやられ300人以上の一般住民の命が失われた渡嘉敷島で3月28日に4年ぶりに慰霊祭が執り行われ、島の人たちが鎮魂の祈りを捧げました。

沖縄戦当時、米軍が上陸した渡嘉敷島では1945年3月28日に集団自決を余儀なくされた一般住民330人の命が失われたとされています。

「黙祷」

渡嘉敷島では毎年、この日にあわせて慰霊祭が執り行われていました。しかし、新型コロナの感染拡大によって2019年を最後に中止が続いていて、2023年に4年ぶりに実施することになり多くの遺族や村民が参列しました。

渡嘉敷村・新里武広村長「手りゅう弾の爆発音とともに自らの命を断ち、修羅場と化したすさまじい光景は地獄絵図のようだったと当時を知る島の先輩たちの証言であります」

参列した遺族や村民らは犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に手を合わせるなどして鎮魂の祈りを捧げるとともに平和への思いを新たにしていました。

4歳の弟を戦争で亡くした新里武光さん(87歳・当時8歳)「うちのおじさんが人が集まるところにはたくさんの敵の弾が来るから離れておきなさいって言っていた。そしたら案の定、弾が落ちてきて、みんな騒ぎ出して集団自決した。(弟には)こういう戦争は二度とないからこれからあとも見守ってくれと、亡くなった人にはこれしかいえない」

17歳で集団自決の現場に遭遇新垣キヨさん(94歳・当時17歳)「いつまでもこれは忘れられないですよ。二度と戦争は絶対にやっていはいけない。今もテレビ見ててもいつも戦争の話だから怖い」

多くの住民が犠牲になった痛ましい出来事から78年、渡嘉敷島はきょう平和への想いに包まれる一日となりました。