今を生きる私たちが沖縄の未来を見ていくシリーズ「IMAGINEおきなわ」です。4年近くの充電期間を経て新しい建物となって生まれ変わった「第一牧志公設市場」が今回の舞台となります。
古くから親しまれた「県民の台所」が戻ってきたと感じたり、地域活性化の起爆剤になってほしいと願たりする人も多いのではないでしょうか?リニューアルオープンを待ちわびていた市場で働く人や訪れた人の思いを通して市場のこれからを見つめます。
商店街を埋め尽くす、黒山の人だかり。市場の古本屋ウララ 宇田智子さん「信じられないです。こんな日がくるなんて」
第一牧志公設市場 粟國智光 組合長「無事に3年9カ月ぶりにこの第一牧志公設市場の元の場所に戻ったっていうことは本当にこれほど喜びに堪えません」
第1牧志公設市場が、那覇のマチグワァーの中心に戻ってきました。新しい市場に集う人々は、何を大切に思い、何を50年先100年先の未来に残したいと感じているのでしょうか?みんなの声を拾い集めました。
上空からみた那覇です。街を貫く白い天蓋は、商店街のアーケード。そのちょうど真ん中あたりにあるのが、新しい第1牧志公設市場です。リニューアルオープン4日前。市場の店主らは、引っ越し作業に追われていました。
記者「引っ越しの準備はいかがですか」店主「見てごらん、まだ、今、前に進まない。大変よ。間に合わしきれるかどうかわからない。大工が忙しくてよ、だぁ見てごらん、こっちも中途半端でしょ」
内装工事を請け負う職人が不足していて、作業が進まないのだそうです。そのなかでも…
職人「長いわけ?元に戻すわけね」店主「そうそう、もうちょっとほら」職人「はい、わかった」
生け簀に使う水槽の職人は、県内ではこの方ひとりだそうで、鮮魚店から次々に声がかかります。
第一牧志公設市場 粟國智光組合長「本当に間に合うか間に合わないかの、今瀬戸際ですので、結構大変な状況に陥っているのは正直ですね。まぁ、なんとか、なんくるないさでくるしかないと思いますね」
オープン当日。式典には、大勢の人が詰めかけました。
司会「新第一牧志公設市場のオープンです。どうぞ」
新しい市場は3階建てで、1階には精肉や鮮魚・食品、2階には飲食店が入ります。施設は新しくなりましたが、市場らしさは健在のようで…
記者「新しい市場はどうですか」子ども「ちょっと、くさーい」記者「どんなにおい?」子ども「海鮮とかのにおい」
一方、こちらの常連客は。客「この造り、ほっとしてる。よかった、壁が無いのが一番よ。一番上等」
店を仕切る壁がないのが、うれしいようです。
客「前もこんな感じでね、仕切りがなくって隣のお店どうしの話も弾んでて、お互いに助け合いもしてたんで。だから昔と変わらないと思ってほっとした」–
牧志公設市場は、戦後の闇市が発展するかたちで1950年に誕生。「県民の台所」というフレーズで親しまれてきました。2019年に、建物の老朽化による建て替えのため、仮設市場へ移転。およそ4年の歳月を経て、今月、元の場所にかえってきました。
今回、初出店の野原由人さん。祖父母が、仮設市場の近くでサーターアンダギーなどを販売してきました。
初出店 てる屋 野原由人さん「やっぱりこれが市場だなと、この活気の良さが市場だし、隣同士ももう知り合いだらけなので、みんなで頑張っていこうねって朝から気合出してやってるのでとても楽しいですね」
出店のきっかけは、新型コロナが流行した際に、市場の人たちに助けられた経験があったからです。
初出店 てる屋 野原由人さん「お客さんが来なかったんですけど、市場の方々が弁当としてこの自分たちからどんどん取っていただいて、もう毎日。それで自分たち本当に救われた部分があったので、その方々とまたここで一緒に仕事できるっていうのがとても嬉しいですね」
仮設市場の移転中におきたコロナ禍は、観光施設化していた市場に、大きな打撃を与えます。これに加えて、市場周辺の店舗は、古い市場の解体に伴い、日差しや雨を遮るアーケードも失い、厳しい日々を過ごしてきました。
店主「ただじっと一日、ぼーっとしていても一緒だから、せっせと縫ってマスク売ったりしながら」
店主「これを待ってたんだから私ら。我慢して我慢してコロナの間も売れなくても」
市場中央通りの古本屋では、市場の新装開店にあわせて、市場にまつわる冊子やポストカードを作成していました。
市場の古本屋ウララ宇田智子さん「この3年9カ月間結構苦しい時期だったんですけど、その間も市場のことを気にかけて店に来ていろいろ話を聞いてくれたりする人たちにすごく助けられたので、そんなふうに一緒に市場を見てきた人たちに、何かこの市場が戻ってきたときに、冊子とかポストカードとかでその人の市場への思いみたいなものを表現してもらえたらいいなと思って」
「今までこの市場が続いてきたのは、店の人がこの場所で絶対商売をしようっていう気持ちでここに集まってきて、いろんな工夫をしながらその時代に合わせて、変わり続けてお店を続けてきたと思うんです。だからどこででも商売できればいいっていう気持ちじゃなくて、やっぱこの市場で商売したいっていう人たちが集まってきて、それぞれ工夫してやっていったら、きっとこの先もずっと続いていくんじゃないかなって」
照光精肉店 高良幸博さん「骨汁の配布開始します。今日はありがとうございましたご来店、皆さんとってください。お祝いです。無料です」「本当うれしいですね。もう4年間コロナと市場の移動で、お客さんだいぶ減ってたので、もう今日この日を迎えられて本当にうれしいです」
公設市場の人たちは、他の場所への移転の話が出た時も、この場所にこだわり続け、時には行政ともたたかってきました。
店主「もしお客さんが来なくなって、この市場周辺のところも商店街も潰れたとき、あなたたち責任持てるんですか?」
守りぬいてきた人や場所とのつながりは、新しい市場になっても…
客「今オーナーさん?」店主「今は娘です」客「あの、おばあちゃんの、良かったじゃん、うちら、いつもこっち来ていたから」店主「母がやっていた時よりはちょっと縮小して…」客「ずーっとやがて、探した」店主「一斤?」客「やっと探したもう、あっちこっち」店主「回って?」
山城こんぶ店 粟國和子さん「最初の頃、火事で焼ける前、で火災、火災の後、仮設、で今度これ、もうそれを1から10までもう経験してきた年齢だから、今こういう市場に入れて、みんなとお祝いができるっていうことはもう本当に感無量」
記者「市場が50年後100年後に残っていくために、どんなことが」
山城こんぶ店 粟國和子さん「やっぱり市場に残ってる「相対」。今の若い人たちにどういうふうにしたらおばあたちに教えられた料理のやり方を教えてあげるとか、そういう中で話をやりながら1人ずつのお客さんを増やしていければいいなと。それをやりながらやっていけば絶対50年100年続きます」
第一牧志公設市場 粟國智光組合長「魅力ある個人事業者がね、公設市場を中心にそのエリアに集積すれば、本当に魅力あるマーケットが持続できるんじゃないか。いいマチグワァーを作っていきたいなと思いますね」