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沖縄戦で旧日本海軍の司令部が置かれ、その後公園として整備された豊見城市の海軍壕公園。現場ではきのうから敷地内の未公開部分で大規模な遺骨収容活動が始まりました。

去年、行われた活動の際に見つかったある資料が、戦死した兵士の遺族を結びました。

きのうから豊見城市にある旧海軍司令部壕の未公開部分で、NPO法人の空援隊が中心となってボランティアらによる遺骨収集が行われています。

海軍壕での遺骨収集活動は、去年10月に続き、2度目となります。

海軍壕で遺骨収容活動が始まる

NPO法人空援隊・倉田宇山さん「どうして国は今までここは(遺骨収容が)済んだからもう(遺骨は)ないと言ってきたのか。(遺骨収容活動を)やってみたら色々なものが出来てきた。(前回は)遺族の方に喜んでもらえるものもあった。それだけでもやったかいはあった」

今回、ボランティアとして特別な思いを持って参加する人がいました。

新垣元さん「遺骨取集の窓口である県に対して、海軍壕公園はまだ未発掘部分がたくさんあるので発掘をしてくれと要請文を出した」

こう話すのは新垣元(あらかきはじめ)さん。おととし、当時92歳の母とガマフヤーの具志堅隆松さんとともに県を訪れ、「叔父の遺骨が眠っているかもれしれない」と海軍壕の未公開部分での遺骨収集活動を行うよう求めていました。

海軍壕で遺骨収容活動が始まる

今回、空援隊の活動を知ったことをきっかけに遺骨収集に参加することに決めたのです。

新垣元さん「私がまさかこの海軍壕で発掘するというのは思いもよらなかったですけど。全日程で体力の続く限り参加したいと申し込みをしました」

また、去年10月の遺骨収集で薬きょうの中から沖縄戦当時、旧日本海軍・丸山大隊として動員されていた人たちの名前が記された編成表が見つかっていました。

遺骨収集が始まる前日、編成表が展示されている海軍壕公園には遺族らが訪れていました。

沖縄戦で父・渕上正治さんを亡くした茶木久美子さん(93)と夫の正夫さん(92)です。

色あせて、ぼろぼろになった編成表を見つめる久美子さん。

茶木久美子さん「お父さん。あと一度でも会えたらよかったけどね」

海軍壕で遺骨収容活動が始まる

編成表が見つかった海軍壕の中へ。

NPO法人空援隊・倉田宇山さん「あの名簿。ここから見つかったんです」

茶木久美子さん「お父さん、会いたかったね。会いに来たんだよ」

茶木久美子さん「胸がつまりますね。沖縄の戦争が沖縄で無かったらよかった。そしたら、そんなに玉砕とか色んなことないでしょう、なかったと思います」

沖縄戦から78年が経った今も、戦没者の遺骨は眠ったままとなっています。