~首里城2026~復興のキセキ。番組では、復興が進む首里城で今、何が行われているのか、その軌跡を追い、毎月、月末に伝えていきます。
ここからは取材した玉城真由佳アナウンサーです。
玉城真由佳アナウンサー「初回のきょうは在りし日の姿を取り戻すために欠かせない『木材』にスポットを当てます。どんな木が正殿の再建に適しているのか、様々な木を見て、選び抜き、沖縄に持ってくるまでに大変な苦労が隠されていました。」
沖縄の正月を華やかに彩る「新春の宴」が2023年の幕開けを告げます。新しい年の始まりに人々が共通して願うのは「首里城の復興」です。
ボランティア参加者「まだ残っていた頃の首里城を見たことがなくて早く復興してもらえたらいいなと思います」
見学に来た人たちも再建を手伝うことができます。首里城公園では、来場者参加型のボランティアを、火災の翌年から行っていて現在は、火災で破損した正殿の柱を支える礎石部分、「ニービ」をパイプで細かく砕く作業を体験できます。粉状になったものは、漆の塗装下地として再利用されることになっています。初日の13日には、106人が訪れ、きのうまでに2562人が参加しています。
復興(再建)の本格化を告げるのろしが上がりました。16日、那覇新港に到着した貨物船から荷下ろしされたのは、57本の国産ヒノキです。木材を積んだ3台のトラックによって、その日のうちに首里城まで運び込まれました。
今回、調達された国産ヒノキは大きいもので長さおよそ8m、重さは600kgほどにもなり倉庫に並べる時もフォークリフトを使う、大掛かりな作業となりました。
一本一本、隅々まで厳しい職人の目が光ります。本当に使えるものかどうか?木材に含まれる水分量や傷が入っていないかを確認する品質検査です。特に水分が多いまま加工してしまうと、木材の自然乾燥が進んだ際に曲がりや割れなどが生じる恐れがあることから、現段階では、6か所の水分量を測定し、その平均が25%以下になれば合格です。
基準をクリアした木材には「令和首里城」の印が押されました。その後、木材は調達した県からこれから加工・工事を担う国へと引き渡されました。
首里城復興課・嘉数班長「やっと一歩が踏み出せた。歩み始めたというところの安心感、安堵感があります」「今回木材なんですが、それ以外にも造作物を作っていきます。その時に若手技術者を入れながら将来を見据えた人材の確保に努めていきたいと思っている」
首里出張所・新垣出張所長「見せることによって寄付金をはじめ復元を待ち望む多くのみなさんの声にこたえることなのかと思っているので しっかりと工事を進めつつ、復元をしっかりと見せていく」
正殿の再建には国産ヒノキのほかに、イヌマキやオキナワウラジロガシも使われます。
玉城真由佳アナウンサー「こちらの県営林にはおよそ1200本のイヌマキが植えられていて、将来の首里城の修復に使われるということです。」
おとといには、国頭村で沖縄ではチャーギの名で知られる、イヌマキの育樹祭が行われました。沖縄戦や伐採により、平成の復元で県産イヌマキの調達がかなわなかったことから、30年ほど前に首里城公園友の会が始めたもので、これまで6000本以上の植樹や手入れを続け、現在1200本が育っています。冬と夏の年2回、ボランティアを募り育樹祭を行っていて、今回は、およそ100人のボランティアが未来の首里城のために汗を流しました。
Q植えてみてどうでしたか?参加者「うれしかった」「大きくなってほしい」
14世紀に造られたとされる琉球王国最大の建造物であり、沖縄の歴史や歩みを伝えるかつての「首里城」にもイヌマキが使われていました。
虫に強く、沖縄の風土にも適したイヌマキは古くから耐久性に優れた高級な建築材として扱われてきました。
友の会 高良倉吉会長「(イヌマキは)早くて50年、100年、150年、200年という期間がないと特に首里城の1番中心的な柱や梁になるようなああいう立派な木にならないわけです」「(この取り組みを)継続していく仕組みや問題意識をちゃんとキープできたらいいんじゃないかと(思う)」
今月も首里城を中心にいろんなことが行われたんですね!およそ3カ月前に起工式があって、新年を迎え、首里城復興が本格的に進んでいることをひしひしと感じますね。
玉城真由佳アナウンサー「そうなんです。これからもっと、見える形で様々な工事が進んでいきます。復興の後押しとなっているのが、県内外から集まったたくさんの善意です。」
首里城火災を受け、県にはおよそ55億円の寄付金が寄せられました。県は寄付金の使い道を「見に来た人の目に付きやすい部分」や「伝統技術継承のため県産材や県内の職人が関わるところ」に充てることにしています。
まず、寄付金活用の第1弾として、県は6億円を用いて正殿の建築資材となる179本の木材を調達します。そのうち、今回、国産ヒノキ57本が沖縄に届いたというわけですね。
玉城真由佳アナウンサー「残りの122本は2月に2回、3月に5回と、7回に分けて首里城に搬入されます。」
そして、今月、調達された57本は正殿上層部と下層部の柱材の一部として使われることになっています。しかし、ヒノキ、沖縄にほとんど自生していないんです。どこから、どんな行程を経て沖縄にやってきたのか、実際調達にあたった担当者を取材しました。
玉城真由佳アナウンサー「「倉庫内にはふわぁっと爽やかなヒノキのいい香りが漂っています」
平成の復元では、沖縄と気候が近い台湾産ヒノキを使いましたが現在、台湾では自然保護のため伐採・輸出を禁止しているため今回の復元では、国内でまかなうことになっています。そのうち、半数以上を占めるのが「奈良県」を産地とするヒノキです。
根路銘国一さん「やはり奈良県は古くから林業が盛んで立ち木の管理を長年行っています」
今回、木材の搬入という大役を担った大林組の根路銘国一(くにかず)さんです。
根路銘国一さん「(奈良は)枝の間伐とか、枝の伐採、木を植える間隔が管理されていて」「よく光が差し込んで綺麗に木が並んでいる状態の木材なので、木が真っすぐ育っている」
首里城を形づくるには、一般市場にはあまり出回っていない大きなサイズかつ、節や歪みのない真っすぐな木が求められます。林業が根付いた奈良の木は質の高いものがそろっていたといいます。より優れた木材を手に入れるべく、根路銘さんは、何度も現地を訪れ、視察や検査を重ねました。
根路銘国一さん「車1台がようやく通れるような狭い、かなり山間の深いところに入っていますそこから車で降りて歩いてかなり急な斜面を30分ほどかけてやっと立ち木の状態を見れるところまで行くことができるような(場所)」「やっぱり木の大きさの迫力に非常に驚かされまして、これが将来首里城の柱になるんだなぁと思いますと非常に感慨深いものがございました」
求めていたヒノキは深い山奥にそびえ立っていました。たどり着くまでも一筋縄ではいかなかったのに、木材を運び出す時にはさらに頭を悩ませたといいます。
根路銘国一さん「人が歩いてしか行けないような場所になりますので、(伐採後も)車で運ぶことができない。車が積み込める場所まで持っていくには、ヘリコプターしかないのでヘリコプターで吊った状態で麓まで運んで、そこで車に積み替える
山の変わりやすい天候に左右されながらも原木1本1本をワイヤーで吊るし、1日10本ほどのペースで麓に運びました。その後の、製材、乾燥の行程中も何度も検査が行われ、搬入基準に満たないヒノキ、実に数十本を入れ替えながら、選りすぐりの57本がそろえられました。厳しい試験を合格したヒノキが奈良を出発し、ようやく沖縄にやってきたのです。
根路銘国一さん「ヒノキの中でも選ばれた材料ですね。木材の強度も試験を行っていますけど強度的にも非常に高いものが今回出荷されておりますので、まぁ丈夫で長持ちする。また赤みが強いですので」「赤みが強いと虫にも強い材料になりますし耐久性もありますのでいいものを提供できたなと(思っております)」
根路銘国一さん「私たちの柱材が入らないと首里城の復興が始まりませんのでまず1回目の搬入が終わってホッとしております。」
長い道のりを経て沖縄に到着した木材の加工は、来月上旬から始まります。
玉城真由佳アナウンサー「今後首里城では、木材1本1本を確認しながらどの場所にどんな用途で使用するのかを決め、加工作業が進められるということです。」
令和の復元は、「見せる復興」がテーマとなっています。今回も搬入された木材の品質検査を見学する来場者も多く見受けられました。
どうやって工事が進んでいくのかすでに関心が高まっているようですね。再建に向けて動いている今しか見られないこの光景を見てもらえたらと思います。
玉城真由佳アナウンサー「来月は、今月紹介した首里城復興ボランティアに寺崎アナウンサーが参加する様子をお伝えする予定です。」