75年前に伊江島で多くの命が奪われたのにあまり知られていない沖縄のアメリカ軍関係で最大規模の被害をもたらした事件があります。悲劇を繰り返さないためにも過去から学びを得ようと、同じ日付に重大な出来事があった広島でシンポジウムが行われました。
島袋 清徳(しまぶくろ・せいとく)さん「人間の死体であることはわかる、ところがこれが身元が分からないわけです、焼け焦げて」「僕の父と間違いないといって、探しに行った5~6人は死体を囲んでわめき出すわけです」
当時の記憶を語る体験者と、その話に耳を傾ける女性。
仁木 美恵(にき・よしえ)さん「日本の未来とか、日本の現在を見る視点にもなるかなと、沖縄から見るっていうのはとても大事なんじゃないかなとだけど、広島でも伊江島のあの歴史は知られていないんですね、それも伝えたいなという風に思っています」
伊江島の事件を伝えるシンポジウムが広島で開かれ、100人を超える来場で会場が埋め尽くされました。なぜ、これほどまでに高い関心を集めたのか、そこには、伊江島と広島、同じ日に起きたそれぞれの戦争があったからです。
濱元晋一郎記者「8月6日といえば、ほとんどの人が広島への原爆投下を思い浮かべると思います、ただ、1000キロ離れた伊江島でも同じ日に多くの人の命が奪われる出来事があったことはあまり知られていません」
犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑が伊江島のフェリー乗り場の近くにあります。沖縄戦が終わってやっと故郷で日常を取り戻せるという島の人たちの希望を一瞬で奪った「LCT爆発事件」を今に伝えています。
島袋 清徳さん「(連絡船をおりて)こっち行った人はほとんど亡くなった、向こう行った人はほとんど生きている」
爆発を間近で見た島袋清徳さんは、当時11歳でした。あの時に聞こえた「また戦争がおこたんどー」という叫びが今も耳から離れないと言います。
戦時中の伊江島には、アメリカ軍によって日本本土を攻撃するために大量の爆弾が持ち込まれていました。戦争が終結して必要なくなった未使用弾は輸送船LCTに載せて海上投棄することになっていて、船に積み込む作業が住民が行きかう波止場近くで行われていたのです。
1948年8月6日午後5時28分、連絡船が港に到着して、出迎えなど、多くの人でごった返していたちょうどその時、海に捨てられる予定だったあわせて125トンの爆弾が荷崩れを起こして爆発しました。これが「LCT爆発事件」です。
島袋 清徳さん「暑い夏でしたよ、夏の光線を浴びて、きれいな砂浜と、空の緑ね、きれかったですよ」「(砂浜が)真っ黒に焼けて、破裂した船の破片、肉片がいろんなところにとんで」
住民を含む107人が死亡し、70人余りがけがをする戦後アメリカ軍が関わったものでは最悪の惨事となりました。
伊江島から遠く離れた広島県で爆発事件を伝えるパネル展が今月14日に始まりました。原爆投下と同じ8月6日に起きた悲劇を学ぼうと、地元の市民団体が強く要望して実現したといいます。
ボランティアで企画や会場設営などに携わった広島市に住む仁木 美恵さんは、普段平和ガイドとして修学旅行生などに原爆ドームや平和記念公園を案内しています。
過去に「沖縄戦」や「基地問題」を現地で学ぶツアーに参加した際、知らなかったことばかりでショックを受けた経験から沖縄について自分のこととして考えたいと今回のイベントを手伝うことにしました。
仁木 美恵さん「同じ8月6日でも長い間知られてなかった伊江島の歴史と、8月6日って聞いたら広島って伝わるのとずいぶん違うけれど、亡くなった方、いろんな戦争で同じ被害を受けた人の思いっていうのは一緒だろうなっていうのと」
主和津(しゅわつ)ジミーさん「お母さんが言うには、見てごらん、お父さんこうなったよって言って、首もなかったし、一つの手がなくなって、足も、下の(パネル展の)写真の中に、片手の写真が出てきまして、あれはお父さんの」
15日には体験者の話を紹介するシンポジウムが開かれました。壇上に立った島袋 清徳さんは、当時の惨状を生々しく伝えます。
島袋 清徳さん「耳が引き裂かれるような大きな爆音と同時に目の前が真っ暗になったわけです」「日頃真っ白な砂浜なんですが、それが真っ黒い焼きこがれて、その中に死体あり、肉片あり、船の破片あり」
訪れた人は初めて知る伊江島の戦争について、時折涙を浮かべながら聞いていました。
来場者「お話ししてくださった人の前には、どのような光景が広がっていて、どんな情景が浮かばれながら、私たちにお話してくださっているのかと考えると、やはりしっかり勉強して、受け止めていかないといけないなと思いました」
来場者「本当に初耳だったんでね、これは本当に伝えていかなければならない、私は沖縄の話はできないけど、広島の話をちゃんと伝えていかなきゃいけないとと、90ばあさんになって、頑張らなきゃいけないとおもっています」
島袋 清徳さんと仁木 美恵さんは、平和を守っていくためにこれからも戦争の話を伝え続けて行きたいと話します。
仁木 美恵さん「(戦争の記憶が)なかったことになってしまったら、人間は愚かだからまた同じことをまたやってしまうって(伝承するなかで聞いた)」「過去あったことはなかったことにしてはならないって、そうやって伝えていくことが今できることで」
島袋 清徳さん「針の先程度でも、声を出さなきゃ広がらない、だからその針の先(くらいの声)から始まって、この宇宙から戦争という言葉がなくなるような状況まで行ければなという夢っていうんですか、こういうあれでいます」
広島と伊江島、それぞれの8月6日の慰霊碑に書いてある文章は違っても、込められている願いは同じなのではないでしょうか。悲しみしか生まない戦争の過ちを繰り返さないためにも、私たち一人ひとりが過去の歴史を学ぶ必要があります。