本土復帰を様々な角度で見つめる「復帰50の物語」です。50年前の復帰を契機に、沖縄のシンボルとして復元を果たした「首里城」でしたが、火災で再び焼失してしまいました。
あの悲しみから3年、今年はいよいよ、正殿の再建が本格始動しました。在りし日の姿を取り戻そうと意気込む赤瓦職人を取材しました。
八幡瓦工場・寄定秀美さん「朝テレビがついててて、どこのことなんだろうっていうのは最初分からなくて、よく見たら首里城で、本当びっくりして」
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「首里城が焼けて、そこからもう沖縄県赤瓦協同組合がみんな一丸となって赤瓦の製造・制作に向けて努力をしている」
あの日から3年、首里城の再建へ向けて赤瓦職人たちが決意を胸にしています。
琉球王国の時代を経て、沖縄戦では、その全てを失った首里城。50年前の復帰を契機に、その後約30年の歳月をかけて復元を果たしました。しかし、3年前の火災により、正殿などの主要な建物を再び失ってしまいます。
再建に欠かせない「赤瓦」、「八幡瓦工場」でつくられています。瓦工場の社長であり、県内の赤瓦生産メーカーを束ねる組合の代表でもある、八幡昇さん。再建へ向けて着実な歩みを実感しています。
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「我々組合員、みんなが協力して、各工場に分散して製品を作っていきますので、それがうまくいくように組合としてもこれをまとめていきたいと思っています」
そんな赤瓦を造る工場で、黙々と作業を行う一人の女性がいました。
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「彼女はうちの求人募集を見て、たまたま沖縄の赤瓦に興味があったから、まずはやってみたいということで、広島から応募してきたんですよ」
寄定秀美さん「11月に1回焼けた後の首里城を見ておこうと思って、(広島から来て)公園から首里城の中が見える場所から見てたら、その時はまだ規制されて入れなかったので、工事現場の人たちが動かれていた。その姿を見て、自分もあっち側で働きたいなと思った」
首里城への思いを語る寄定秀美さん。実は広島で福祉関係の仕事についていましたが、火災をきっかけに赤瓦への思いを強くし、職人への道を踏み出す決意を固めました。
寄定秀美さん「首里城の火災があって、再建に関われたらなっていうのをきっかけに、赤瓦を調べていく中で、首里城にも使われてるけど、県内の瓦屋根として使われてるっていうところで沖縄のアイデンティティでもあり、改めて赤瓦っていうものの魅力を感じて受けてみようと思いました」
沖縄県外からの応募ということもあり、心配な部があったと八幡さんは言います。
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「ちょっとね、心配でしたね。まずは体力ね。慣れない仕事、こういう土に触れてないから。続くかなと思うような心配がありました」
採用に至った決め手は・・・。
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「一番は本人の情熱ですよ。ぜひ首里城に関する瓦に私も携わりたいと、そういう情熱でね、もう沖縄に来ると決めてますからね。一緒にやってみたいなと思って採用しました」
寄定秀美さん「(2020年2月に)ここに面接で来させてもらって、そのときに社長が『やってみるか』と言ってくれたので『OKってこと?』って思って。なんかそういうふうに言ってくださったので良かったって思いましたね」
無事に思いが伝わり、赤瓦職人への道を歩み出すことになった寄定さん。実は、広島から沖縄への移住を前に理解を得なければいけない人がいました。
寄定秀美さん「親にも勇気出して、実は沖縄に行きたいんだけどっていう感じで言ったら、本当にずっと一緒に地元で実家で暮らして、これからもずっと一緒だと思ってたみたいで両親もびっくりして、え、なんでみたいな感じで」
まさに寝耳に水の状態だった両親に対して、なんとか説得を続けたと言います。
寄定秀美さん「やっぱり行きたいって話をしたら、なんか止めるわけにもいかないし、応援は出来ないけど、自分が決めたことならっという感じで送り出してはくれました」
とはいうものの、両親からの応援はきちんと別の形で届いてるようです。
寄定秀美さん「(広島の実家で)米とか作ってるんですけど、新米とか送ってくれたり、もうなんかいろいろと応援してくれてるな、気にかけてくれてるなっていうのはすごく感じます」
職人への道を歩みだしたこ寄定さんを先輩の職人たちはどう見ているでしょうか…?
沖縄県赤瓦事業協同組合・八幡昇代表理事「三倍ぐらい努力してると思いますよ。沖縄の文化芸能にも興味持って、飛び回ってるから、逆に私達よりも芸能に詳しいんじゃないかな」
先輩職人「雰囲気変わったかなと思いますよね。明るくなった感じ。物もよく仕上がってるかなと思います」
寄定さん自身も、この2年半で首里城に対する思いに変化がありました。
寄定秀美さん「早く一人前にならなきゃっていうのがあったせいか、焦りみたいなのがあったんですよ。だから何か他の人のライバル視じゃないけど、してた部分もあったりとかしてたけど、このライバル視っていうよりかは、どうやったら円滑にみんなでスムーズに、まわしていけるかっていうのを意識はそっちに変わったかなと思っています」
ことしは、国頭村で切り出された材木を運ぶ「木挽式」や「木遣行列」とともに、正殿の工事のスタートを祝う「起工式」が行われました。いよいよ正殿の再建へ向けて本格的に動き出しています。
寄定秀美さん「職人としてはまだ早すぎて何か言っていいのかわかんないけど、やっぱり作ったら、屋根に乗って何十年も、瓦として残っていくものなので、この同じ作業だったりするんですけど、どれだけこれに1枚ずつに思い込めるれるかなっていうのは自分の中でまだ挑戦なんですけど、思ってますね」
火災から3年。赤瓦の職人をはじめ、首里城の再建へ向けて、着実に進んでいます。