先週末、感動のフィナーレを迎えた世界のウチナーンチュ大会。金武町では町ゆかりの県系人・「シマヌチュ」のための大会が催されました。地球の裏側から大会に参加する1人の男性の「50年ぶりの里帰り」に密着しました。
先月24日の那覇空港。遠く離れた「ブラジル・サンパウロ」から30時間かけ来日した男性がいました。金武町にルーツを持つ、池原信雄さんです。県系1世で、兄の昭栄(しょうえい)さんと2人で沖縄にやってきました。世界のウチナーンチュ大会に合わせて金武町で開催される県系人に向けた交流イベントに参加するためです。
池原信雄さん「心がワクワクするっていう感じね 」「50年も会っていない親戚 学校の同級生とかこの沖縄大会で会えるかなってね」
信雄さんが心待ちにしていた半世紀ぶりの里帰りの幕が上がりました。
池原信雄さん「思い出があまりなくてもね、やはり日本人で沖縄で生まれてその気持ちは絶対なくならないのでうれしいですね、戻って」
沖縄が本土に復帰した1972年、池原家は家族9人でブラジルへ渡りました。7人兄弟の末っ子の信雄さんはその時9歳でした。
兄・池原昭栄さん「本土復帰というものがどういうものなのか、その後どうなっていくのか、全然予想もつかない」「よくなるはず、だろうでしょ」「だろうよりも向こうへ行って」「地面に足ついて自分で一生懸命働いたほうがいいんじゃないかと」
ブラジルに移住して真っ先に言葉の壁にぶつかりました。他にも暮らしの面での苦労は多く、小学校の高学年になると 学校に行けたのは午前中だけで午後からは家族の仕事を手伝っていたといいます。
中学は夜間の学校に通い、日中は働いて家計を支えました。様々な人生のハードルを乗り越え、今や家族は47人の大所帯です。信雄さんは高校を卒業して以来、20年以上自動車電気整備士として働き続けています。
顕彰式(金武中学校3年 パニアグア・ディエゴさん)挨拶「當山久三さんのおかげで現在も活躍しているウチナーンチュがいます」
世界のウチナーンチュ大会に足並みを揃え金武町で開催されるのが、町ゆかりの県系人・「シマヌチュ」が集う「世界のシマヌチュ大会」です。
池原信雄さん「これは1年生か2年生に入った時の写真ね」「ぼくは小さいから前のほうに」「見てわかるでしょ、ちょっと恥ずかしがり屋で。小さい時からそうです」
幼い時に海を渡った信雄さんは金武で過ごしたことをほとんど覚えていません。今回の旅はそんな信雄さんの「ルーツ」を探す旅でもあります。
池原信雄さん「もう一度会えるように その時は写真をもってお話しできるように(写真を持ってきた)」「写真に載っている人がいたらね そんなのないものね 50年経ってね」
「あれあれ」「信雄だろ 信雄だろって」「信雄さん? 比嘉です!同級生」「覚えていないんですけど」
信雄さんが大会に参加していると聞きつけた同級生たちが集まってくれました。50年前の思い出話で溢れかえります。
「覚えている?」「一緒に遊んだこと覚えている」「一緒に遊んだよ、覚えている?」「写真見て思い出した」
同級生:山内幸夫さん「当時外国に移民するというのはなかったもんだから」「小さい時の顔がそのまま大きくなった感じで」「一目ですぐわかりました」
同級生:宮城すが子さん「一生会えないと思っていた同級生なのでこの機会に会えてとってもうれしいです」
同級生:新里健治さん「まさか50年の時を越えてね 再会できるということは本当に我々健康でね良かったなと」
池原信雄さん「それを聞いて言葉が出ない 嬉しいですうれしくて 言葉が出ない」同級生「良かったね 会えてうれしい」「会えてうれしいな」
池原信雄さん「夢にも見たことなかった、誰か会えるかな?ってそういう考えはあったけどね、みんな集まってくれて」「今回来て次の大会にもこられたらいいですね」「ほんとうにすごく会えてうれしい」「ありがとう」「信雄が覚えていなくても地元のみんなは覚えているからいつでも帰ってきてもいいんだよ」「写真持ってきて良かったね~」
今夜は信雄さんにとって「金武町にルーツがあったこと」を噛み締める特別な時間となったようです。
池原信雄さん「金武町は一番石川のほうに屋嘉区、そして伊芸区、金武区、並里区、中川区。5つの区に分かれていまして…」
信雄さんのルーツを探す旅は続きます。町内の様々な場所を巡る中、蘇ってくる記憶もありました。
池原信雄さん「思い出したのはここでエビを釣ったこと」「エビの前に石を投げて、エビが逃げようとしたら牛乳瓶の中に入って…釣ったりしていた、それを思い出しました」「だんだん少し少し、思い出している」
兄・池原昭栄さん「あたたかく迎えてくれた同級生の方々に本当に感謝ですね」「本人は多分(沖縄に)来る前と来た後、ブラジルでの生活がちょっと違うでしょうね」「ウチナーンチュであるということをもっと意識すると思う」
池原信雄さん「一度生まれたところに帰りたかったのは今だけじゃなくて、長いこと考えていた」「自分の古里に帰る、それでいいの」「いつでもいつでも生まれたところは忘れないから」「一回は帰らないといけないって、今日来られた。うれしいそれだけですね」
池原信雄さん「若い人たちにこの沖縄という島を伝えたい。どんなにきれいな島きれいな海それを伝えたいね」「死なさないようにっていつも沖縄が生きていくようにってそういう考え」
世界のどこにいても 変わることのない、心の古里”オキナワ”。地球の裏側からはるばるやってきた信雄さんは金武町で50年越しに再確認した自分の「ルーツ」を胸に旧友との5年後の再会を楽しみにしています。