続いては特集です。ガジュマルの木と聞いてどこの木をイメージしますか?実は、豊見城市のある小学校に樹齢100年を超えるガジュマルの木が植えてありました。
学校創立以来、子どもたちや地域を見守り続けている木が先日の台風で折れてしまいました。地域の思いや蘇らせたい人々の動きを追いました。
児童朝登校したときに、笑顔にしてくれるみたいな存在でした。木に登って遊んでたりしてました。
高良健二さん「それから戦争当時はね。この写真撮影もあったわけよ、この撮影もね、このガジュマルも写して、(戦争に行っている)兵隊、家族も写して(戦地にいる家族に写真を送るときは)「ガジュマルもこんなに元気だよ、家族も元気だよ、あんたがた戦争頑張りなさい」そういう意味でやったと思うわけ」
豊見城市立座安小学校 具志直哉校長「木陰になってたので、夏の暑い日なんかも、その下で体操したりとかね、そういったようなところで。涼む場所でもあり、木登りも子供たちしてたので、遊ぶ場所でもあり、休む場所でもあり、というのが100年ガジュマルだったんじゃないかなと思います」
学校のみならず、地域のシンボルになっていた、豊見城市立座安小学校の「100年ガジュマル」。親しみを込めて「ひんぷんガジュマル」と呼ぶ人もいます。樹齢はなんと、114年。その歴史は明治時代にさかのぼります。
現在の座安小学校の前身である、第二豊見城尋常小学校の1期生が入学した記念として1908年(明治41年)に植えられました。当時は、何本かあったガジュマルでしたが、沖縄戦や、校舎の建て替えといった時代の波にのまれ、現代まで残ったのは、たった1本だけでした。
高良健二さん「自分の住処は、字渡橋名(あざとはしな)で、こっちの校門から200mぐらい」
座安小学校の卒業生であり、のちに校長を務めた高良健二さん。今年92歳になる高良さんは、この木と、地域を見てきた1人です。校歌にも、100年ガジュマルから見た景色をイメージすることができる「歌詞」があると教えてくれました。
高良健二さん「与根入口、看護学校、当時はね、何にもうちはない。全部田んぼか畑。だからこの、「ひんぷんガジュマル」ちょうど小高いところあるもんだから、そこに座ってね、見たらね、向こうの稲がもう熟してね、黄色くなってね、とっても綺麗かったわけ。だからこれが、座安小の校歌にね」
【校歌 歌いだし】緑したたる座波名森 黄金波うつ志茂田原
校歌の1番にある、この歌詞は、高良さんが座安小学校に通っていた当時も収穫の秋に、ガジュマルの木がある場所から見える景色だったそうです。長い間、地域のシンボルとして愛されている100年ガジュマル。しかし、あの日、激しい雨風にさらされたガジュマルに、まさかの出来事が起こりました。
先月4日、台風11号が過ぎ去った朝。1m以上あるとみられる幹は中心から折れ、倒れていました。
高良健二さん「初めはね、もう本当に涙が出るぐらいだったよ。とっても寂しかったよ。あのガジュマルも倒れるのか、想像もしなかったのに。だから僕は夜が明けて、即起きて、見に来たよ。だからあのときの寂しさ、感じたことは、みんな同じ。学校の職員も子どもたちも、地域も」
児童「昔からずっとこの木を毎日見てきたので、なんか寂しいようなちょっと違和感があるような気がしました」
豊見城市立座安小学校 具志直哉校長「(近所の人から一報を受けた)PTA事務の方から自分方に連絡来て、そしたら教頭が飛んできてっていうような感じの流れだったんです。どうしようと思いました。(ガジュマルに)思い入れのある人達に、このガジュマルが倒れたっていう事実を、どうやって伝えたらいいんだろうとか、寂しさと悲しさと戸惑いとか」
1世紀以上、当たり前にいたガジュマル。残された方法は撤去だけなのか・・・校長の具志先生も頭を抱えていました。そんなとき、ガジュマルのピンチを聞きつけた卒業生や地域の人が学校に駆け付け、緊急会議を開きました。
豊見城市立座安小学校 具志直哉校長「倒れたその週の木曜日からぐらいだったと覚えているんですけど、うちの会議室の方に総勢15名ぐらいですね。集まってもらって」
なんとかして100年ガジュマルを残そうと、奮闘する関係者たち・・・会議では、ガジュマルの枝を軸に使うボールペンや、子どもたちが図画工作の時間で使う、材料の一部にするなど、様々なアイデアが出ました。さらに!
豊見城市立座安小学校 具志直哉校長「この100年ガジュマルの子供っていうことで、この校庭とかに植えていったら、この100年ガジュマルって繋がるんじゃないっていうようなことを提案してくれて」
園芸会社を営む卒業生からの提案は、100年ガジュマルの一部を使った「挿し木」という方法でした。はじめに、虫に食われたり、朽ちてしまった幹などは撤去し、そして、元気そうな枝を何本か見繕って、持ち帰ります。持ち帰った枝を、土の入ったプランターに植えて、根っこが伸びるのを待つ、というものです。実際にその様子を見せてもらいました。
泉川園芸 小波津信也さん「こちらがガジュマルの木になります」
台風のあとの9月12日から、3m前後の100年ガジュマルの枝を6本を育てています。現在は養生用のハウスで育てていますが、枝からしっかり根っこが生えたことが確認できたら、次は屋外で育てられます。そのあとは、気候や、成長の速度にもよりますが、来年の春から夏にかけて、「100年ガジュマルの子どもたち」6本は、座安小学校に帰ってくる予定となっています。
泉川園芸 小波津信也さん「最終的には全部元に葉っぱを吹かして、元気な状態でお返しができればな、と思っております。これもまた100年超えるようなガジュマルになってほしいと思います」
子どもたちや学校関係者からは、期待の声が聞かれました。
児童「またこのガジュマルが生まれ変わるっていうのは嬉しいなと思いました」
豊見城市立座安小学校 具志直哉校長「これから6本の(100年ガジュマルの)子供たちが多分来ると思うんですけれども。愛情を持って子供たちにも水やりもいっぱいさせてあげたいし、残った枝、木とかで工作なり、なんなり、自分の好きなものを作って思い出の品にもしてほしい」
高良健二さん「また成長してまた、根を張って、繁栄する。まだ希望・夢があるからね、だからある意味では、期待と親しみ、楽しみも、また出てくるんじゃないかと。失望だけでない。人生そんなもんだよね、世の中というのは。倒れたら起きて、倒れたら、起きて。そして子どもたちにも「あのガジュマル倒れたんだけど、生きてきたんだよ。だからあなたもね、何か困ったことがあったら、心配なことあっても乗り越えられるんだよ」この指導の材料にもなると思いますよ」
明治から令和まで、5つの時代に渡って、座安小学校と地域を見守ってきた100年ガジュマル。新たな100年に向けた再生の物語は、まだ始まったばかりです。