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沖縄の本土復帰を様々な角度から考えていく企画、復帰50の物語です。今週日曜日、3年ぶりの実施となる「那覇大綱挽」。「復活は那覇人(なーふぁんちゅ)の心意気」だと大綱挽の復活当時を知る人の思いを取材しました。

沖縄の秋の風物詩、那覇大綱挽。全長200m・総重量40トンの大きさを誇る大綱は、ギネス記録にも認定され毎年多くの市民や観光客が参加し、綱を引きます。

アーカイブ研究所の映像(1971年)その発祥は、1450年頃だとされていて、1935年を最後に、一度その歴史は途絶えましたが、沖縄の本土復帰の前年、1971年に那覇市の市制50周年記念事業として復活し、現在に至ります。

城間那覇市長(先月21日)「伝統文化の保存・継承そして那覇の活気を取り戻すため10月9日日曜日、3年ぶりに開催いたします」

おととし、去年と新型コロナの影響で開催が中止されましたが本土復帰50年となる今年、3年ぶりに開催されることになりました。復活から現在に至るまで沖縄の本土復帰とともに歴史を歩んできました。

復帰50の物語 第38話 「復帰と歩む大綱挽」

比嘉稔さん「(戦争で)那覇が焼け野原になって、そこで団結して(大綱挽を)やっていけてるのは、那覇人(なーふぁんちゅ)の心意気ですよ」

「ハーイヤ、よいしょ」

3年ぶりの開催を直前に控え、大綱挽で使われる綱の作成も大詰めを迎えています。今年の大綱は従来より40メートル短い、160メートル。綱の挽き手の数も限定し、3200人となるなど縮小された形での開催となります。

それでも3年ぶりに開催される那覇大綱挽を城間那覇市長も心待ちにしている様子。

城間市長「保存会の皆さんがやるらしいよという話が出たときに、股引半套(むむぬちはんたー)を出して洗濯、虫干しして、2,3日前は地下足袋も出して準備を始めました。この話だけでもどれほどまちかんてぃーしていたかお分かりかと思いますが」

大綱挽の開催を心待ちにしているのは城間市長だけではありません。

比嘉稔さん、晃さん(晃さん)「皆出席で」(稔さん)「(弟は)仕事を休んでも来る」

1971年の第1回から参加している比嘉稔さんと晃さんの兄弟。

比嘉稔さん「Q3年ぶりの開催はまちかんてぃーしていた?まちかんてぃーですね」

復帰50の物語 第38話 「復帰と歩む大綱挽」

兄の稔さんは那覇大綱挽保存会の会長を務め、現在も特別顧問として那覇大綱挽に携わっています。

稔さんと晃さんは空手の師匠でもある叔父の比嘉佑直さんの誘いで1971年に那覇大綱挽が復活した時から大綱挽に携わっていますが最初に行われた時は経験者も少なかったため、綱も小さく、試行錯誤をしながらの開催だったといいます。

比嘉稔さん「すごい観衆が集まったわけですよね。当時は綱も無くて他の市町村から借りてきたんですよ、綱は。」「実際に旗頭を持っているのは見たことないわけですよ。写真とかはありますけど、持つときの角度がどれが正しいのかというのもあって」

そして回を重ねるごとに綱も綱も規模も大きくなり現在に至る大綱挽。そこには那覇の人の思いが強く表れていたといいます。

比嘉稔さん「(戦争で)那覇が焼け野原になって、そこで団結して(大綱挽を)やっていけてるのは、那覇人(なーふぁんちゅ)の心意気ですよ」「できるという自信がついたと思いますよ。金もないし、綱もなかったんですよ。」

県外に就職していた時期も大綱挽の時は毎年沖縄に帰ってきて参加していたという弟の晃さんも3年ぶりの開催を心待ちにしています。

復帰50の物語 第38話 「復帰と歩む大綱挽」

比嘉晃さん「綱引きについては年年歳歳ちゃんと50年続いているわけですから、これを絶やさないように老体に鞭打ってやるつもりですけど」「(今年は)3倍返しぐらいですよ、倍返しじゃないけど」

去年迎えるはずだった復活から50年の節目、そして本土復帰から50年の節目様々な節目への思いが込められ、3年ぶりの開催を迎える那覇大綱挽。

比嘉晃さん「昭和10年でいったん終わった綱挽を那覇市の市政50周年で第1回目が復活して今50年を迎えているわけですから、これをずっと継続させて初めて意味と味が出ると思う」

今年も会場に足を運ぶ予定だという稔さんは大綱挽が次の世代にしっかり引き継がれ、今後も続いていくことへの期待を持っています。

比嘉稔さん「これまで50年かかって培った力を次の世代にもどんどん引き継いで、みんな指導者になって大綱挽をまだまだみんなに見てもらいたい。参加してもらいたい」

復帰50の物語 第38話 「復帰と歩む大綱挽」