続いては、沖縄の本土復帰を様々な角度から考えていく企画、復帰50の物語です。きょうは、番外編という形でお送りします。
突然ですが!寺崎さん。沖縄県内にいくつの市町村があるかご存じですよね?
寺崎アナウンサー「41の市町村です!」
その通り。県内には41の市町村があります。さらに問題!いくつの「市」があっていくつの「町」と「村(むら)」があるでしょうか?
答えは11の「市」と11の「町」と19の「村(むら)」があります。一覧がこちらです。
現在の県内の市町村の数を見てもらいましたが、今度は終戦を迎えた1945年の沖縄には、いくつの市町村があった思いますか?答えは、57の市町村と2つの島になります。こちらをご覧ください。
当時は、2市(那覇と首里)5町(本部・名護・糸満・平良・石垣)50村で構成していました。2つの島とお話したのは、大東島の部分です。戦前は、島自体に所有者がいたため行政はありませんでしたが、終戦後、アメリカ統治下の1946年に村制が施行され南・北大東村が誕生します。
さて、戦後の行政がスタートした沖縄で、最初の市町村合併が行われます。1946年4月1日に、本島南部の喜屋武村・真壁村・摩文仁村の3つの村が合併して「三和村(みわそん)」が誕生します。
次の市町村合併は、県都・那覇市になります。1953年11月の時点を見てみますと那覇市のほかに・真和志(まわしし)市・首里市・そして小禄村の4つの自治体がありました。1954年9月1日に、首里市と小禄村が那覇市と合併します。
その3年後、1957年12月に真和志市を編入し、現在の那覇市を形づくることになりますが、この合併を後押ししたのが琉球政府が施行させた「市町村合併推進法」でした。
この法律は、「市町村の合併によって、組織の合理化や住民生活の充実を目的」として掲げていて合併に伴う、補助金などの優遇が受けられるものになっていました。この法律の適用、第1号が那覇市の合併でした。
この法律の下で、実施された市町村の合併は、那覇市以降4件になります。
1961年10月、本島南部の糸満町と三和村など3つの村と合併し新しい「糸満町」としてスタートし本土復帰の前の年・1971年に市制に移行します。1964年には、石垣市が大浜町を編入し合併し現在の石垣市を形づくりました。
1970年8月、当時の名護町と羽地村など4つの村と合併し名護市として生まれ変わりました。1971年11月、過去に本部町から分村した上本部村が本部町に編入されてました。
ここまでが、本土復帰前に行われた合併で県内の市町村の数は、「54」になりました。
『本土復帰以降合併ついて』
1972年、いよいよ沖縄が本土復帰すると琉球政府時代の「市町村合併推進法」から国の「旧合併特例法」に法律が変わります。そして「復帰に伴う特別措置法」と合わせて、多くの財政的な支援が受けられるとして合併を進めたかった県は、合併計画を策定し、積極的に推進します。県が進めた計画で合併が実現したのが現在の沖縄市でした。
こちらの映像をご覧ください。1970年ごろのコザ市役所の映像です。1956年に越来村から名称変更して、市制を開始したコザ市と終戦後すぐに、石川市と分村した隣接する美里村が、1974年4月に合併し沖縄市が誕生することなります。
しかし、これを最後に2000年代になるまで県内では、市町村合併はありませんでした。
『県内にも「平成の大合併」の波が』
そして記憶に新しいのが、平成の大合併なります。1999年に「旧合併特例法」が改正されこれまで以上に、手厚い財政支援措置が受けられるようになり、県も、2001年に「市町村合併支援本部」を設置し積極的に支援を行いました。
その結果が、こちらになります。2002年に久米島にあった仲里(なかざと)村と具志川(ぐしかわ)村が合併して「久米島町」として新たなスタートを切ります。この合併が実に28年ぶりとなりました。
2005年4月には、石川市・具志川市・与那城(よなしろ)町・勝連町が合併して「うるま市」誕生し同じ年の10月には、宮古島にある4市町村と伊良部村が合併して宮古島市として新設されました。
2006年は、元日から本島南部の町村が一斉に合併しました。。東風平町と具志頭(ぐしがみ)村が合併し八重瀬町となりました。そして、佐敷町・玉城村など4つの町村が合併し南城市をスタートしました。
平成の大合併によって、合併前に県内にった53市町村は合併後は、現在の41市町となりました。