復帰50の物語。今回は先週に続き「大阪にある沖縄」についてお伝えします。沖縄にルーツを持つ人が多く住む大阪市大正区。沖縄とのつながりが非常に強い場所ですが、復帰50年と月日が経つ中で、その結びつきにも変化が出てきています。そんな中、そのつながりを再び強いものにしようと活動する女性の姿がありました。
大正沖縄協会 上地由光 理事長「2世3世を入れてだいたい(県系人は)2万人くらいいるけど、その中でだいたいいつも県人会として活動しているのは案内を出しているのは400~500、だいたい350人くらいかな一緒にやっているのは県人会としてね」
人口6万人のうち4分の1ほどが沖縄出身者やその家族と言われる、大阪市大正区。通称「リトル沖縄」と言われるこの場所を中心に大阪市には現在も県人会が9つもあるなど沖縄と強いつながりを持ってきました。しかし…
大阪沖縄県人会連合会 山端立昇会長「今さら県人会なんていらないという人もいるからね。昔の本を見ていると例えば運動会でも何百人野球の大会をやっている見ていると現在我々はそれと比べて少ない。やむを得ないかなと思うよね、時代の流れやし、ただせめて自分が知っている範囲だけは残したいなと思う」
2世3世と進むにつれて県人会の活動に参加する人が減ってきているといいます。さらに、こちらはかつて「移住者の台所」として賑わった平尾本通商店街。沖縄の雰囲気が色濃く残るこの場所もコロナ禍の影響も受け、今ではシャッターを下ろしたままの店が多くなっています。
沢志商店 知名初美さん「ちょっと商店街の中がね、みんな静かになってしまって寂しいんだけど、何とか頑張っていたらみんなが寄ってくるかなと思って」
薄れゆく「大阪にある沖縄」復帰50年を迎えた今、岐路に立たされています。
新城悠子さんと沼尻キャスター(Qこの景色を見てどんなことを感じますか?)「昔来た時よりはシャッターが下りているお店が多くなってきているのでとても寂しい感じはしますね」
大阪に住む新城悠子(しんじょう・ゆうこ)さん。曽祖父が沖縄生まれで、新城さんは沖縄4世にあたります。新城さんは自身のサイト「大阪うちなーんちゅライフ向上委員会」でリトル沖縄の歴史や、大正区へのアクセス方法、おすすめの沖縄料理店や居酒屋など様々な情報を発信しています。
新城悠子さん「リトル沖縄が大正区にあるということを(知らない人も)たくさんいるのでブログを通じて多くの人にこの存在を知っていただけたらまた活性化につながるんじゃないかなと思って」
また、正しい情報を発信するために自らも大阪と沖縄の歴史について勉強し直したといいます。
新城悠子さん(三軒家公園・碑の説明)「こちらはちょうど沖縄から大阪に移民する時に経済が軽工業が発達している時期だったので紡績工場が盛んになっていまして、ここが近代紡績工業発祥の地としてこういう石碑も今残されています」
Qそういう歴史があることを知ったのはいつくらいなんですか?新城悠子さん「知ったのはつい最近のことで2・3年前のことなんですけどそれも自分のルーツを見直すことがきっかけで」
新城さんが自身のルーツを改めて見直したのにはある理由がありました。
新城悠子さん(日記の説明)「これは私の曽祖父が書いた日記集なんですけども初めて沖縄から大阪に出てきた時の思いとか古里が恋しいとかつづられた日記ですね」
1冊の本にまとめられていたのは今帰仁村出身で大阪に出稼ぎに来た新城さんの曽祖父・源三(げんぞう)さんの日記。沖縄から大阪へ渡るときの複雑な思いや、なじみのない土地での生活、戦時中の様子などが書かれています。
新城悠子さん(日記の説明)「今の平和な時代は昔の人たちが大変な時期を乗り越えてきてくれたからこそ今の時代があるんだなというのをこの日記をきっかけに初めて知ることができたので、子孫に大きな徳を残したいというところがあって私実際にひいおじいちゃんに会ったことはないんですけど、まだ会ったこともない子孫のことも考えて徳積みをして子孫につないでいきたいというフレーズがあったのでそこはぐっときましたね」
新城さんの曽祖父をはじめ、後世へ思いを馳せながら大阪へとやってきて苦労を背負った祖先がいたこと。その思いを受け継ぎ今の若い世代ももっと沖縄に関心を寄せるべきだと新城さんは考えています
新城悠子さん(日記の説明)「大変な時を知らない世代が増えてきているので、そういう時代もあった、だから今私たちが平和に過ごせるんだよというのを次の世代にもつないでいけたらいいなと思いますね」
先月6日、大阪市の北にある豊中市で行われたお祭り。友好都市として沖縄市とつながりがあり舞台ではエイサーやカチャーシーも行われました
祭りに参加した人(沖縄出身)「あまり帰れないのでこういうところで感じられるとすごい楽しいです!ありがたいです」
祭りに参加した人(母が石垣島出身)「でーじ楽しかった!私きょう初めてででーじ楽しかったです」
そのほか大阪では枚方市と名護市が友好都市として提携を結んでイベントを行っていたり、先月28日には平尾でエイサー祭りも行われました。
沖縄の熱気は、途切れることなく残っています。
新城悠子さん「3世4世5世と子孫は増えてきているんですけど、血のつながりが薄くなってきているので沖縄を意識することが少ないというのがあるので、こういうイベントを定期的に開催してまた沖縄に思いを馳せる機会が増えたらいいなと思います」
大阪の地に根付く沖縄。その灯はまだ決して消えてはいません。
新城さんは沖縄にルーツがある人はもちろん、今後はそこにだけでなく、ルーツがあるなしに関わらず沖縄の魅力を共有していきたいと話している。
大阪にある県人会の中には、すでに県系人だけでなく沖縄が好き、沖縄に興味があるという人も加入しているところもある(そうしないと成り立たないという面もある)
おそらくウチナーンチュ大会には大阪からも多くの人が沖縄を訪れる。そこでまた大阪と沖縄のつながりを再確認できたらいいですね。
新城さんの言う通り復帰50年を一つの節目にこれまでの歴史などを見つめ直してみるというのは大切なことです。
復帰50の物語 第34話 リトル沖縄における“復帰”