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ここからは家や地域の守り神、シーサーについてのレポートです。シーサーといえば焼き物や漆喰づくりのものが一般的ですが、沖縄でのルーツは17世紀ごろから広まった石彫りの獅子だとされています。

この石獅子に魅せられて製作やリサーチを続ける夫婦が、県内さまざまな石獅子を紹介する本を出版しました。その思いと夫妻選りすぐりのシーサーたちを紹介します。

17世紀後半、八重瀬町富盛から歴史が始まったとされる沖縄の石獅子。その多くは村落獅子と呼ばれる、魔除けのための地域の守り神です。柔らかい琉球石灰岩は彫りやすく材料も身近にあったことから庶民に広がり、さまざまな感性で自由に彫られた表情の石獅子は現在、県内で130体ほど確認されています。

石獅子に魅せられた夫婦が首里汀良町で工房を構えています。沖縄の石で手掘りの獅子を製作するのが夫、若山大地さん。

若山大地さん「シーサー文化は根づいているから身近に感じられいいのではないかと、石のシーサーを作っている」そして妻の恵里さんは、石獅子について調べたり資料作りをしています。

若山恵里さん「(彫った人たちは)ライオンとか実物を見たことがないので、多分どんどんその作者の想像で作られていったからこういう面白い形ができていったと思う」

石獅子に魅せられ本出版 若山夫妻の探訪記

石獅子製作・リサーチを始めていまや13年余り。県内各地で公民館や地元の人たちへの聞き取りなどを重ね、手元の資料が充実していく中、今年7月に長年の成果をまとめた本が出版されました。題して「石獅子探訪記」。

若山恵里さん「こんなに(資料が)まとまっているのに本は無いの?と言われる方がたくさんいて、本をつくらなきゃとなと思ってそれが原動力になって今回出版に至った。こんなにたくさん(書店に)置いてもらえると思っていなかったので本当にうれしい」

個性あふれる本島各地の石獅子が登場していますが、改めて著書の中からユニークな獅子が数多くいる豊見城市から紹介してもらいました。まずは製作者でもある大地さんチョイス。田頭(たがみ)にある大胆なチブルシーサーです。

若山大地さん(隙間を絵をかぶせ埋めながら)「見ての通り頭だけ。口がガッと開いて牙がむき出しでというのが、その迫力もさることながら戦時中に集落の人たちを守ったという話がある」

集落の入り口に置かれたチブルシーサーは、沖縄戦の時、侵入してきたアメリカ軍の戦車のキャタピラが石獅子にひっかかり、それ以上の前進を防いだと言い伝えられています。

若山大地さん「琉球石灰岩は細かい仕事が向いているものでもないし、無理をしていない造形。顔しかないというのが潔い」

かわっては本の著者、恵里さんのおススメ。こちらは難読地名でおなじみ、保栄茂(びん)にいます。石敢當と並んで地域を守る、魔除け効果2倍の石獅子です。

若山恵里さん「ここは思い切りT字路セットで置いちゃえ!!という感じではないか、大きい口もなかなかこんなに大胆に端から端まで彫っている口はあまりないかわいらしい」

同じく保栄茂にはこんな控え目な石獅子も。屋敷の石垣の一つに直接彫り込んでいます。存在を聞いてから発見までに8年かかったレアなシーサーです。

若山恵里さん「多分その時日差しが真横から当たっていて、もっと目鼻立ちがくっきり見えていたんだと思う。きょうはちょっと分かりにくい。この子のいいところは目立っていないところ」

石獅子に魅せられ本出版 若山夫妻の探訪記

Na)そんな若山さん夫妻でも、ルーツが分からない謎の石獅子が存在します。豊見城市の真玉橋、那覇東バイパス沿いに鎮座するシーサーです。

大地さん・恵里さん「ここは確実にモルタルをかぶせている、どこまでが(元々の)石か分からない」

石獅子研究のパイオニアで2人が尊敬する長嶺操さんが40年前に出版した写真集の中には、このシーサーが同じ場所で1975年に撮影されています。

若山恵里さん「クムイ(池)があってそれを守っていたと(地元の人が)話していて、一回建てたけどそれが戦争で焼失して(再建後に)今度は建築現場の人がジープでバックした時に倒してしまって、また建てられたというこれ(石獅子)は3代目と言われている」

もし詳細を知っているという方がいればぜひ連絡を取りたいという若山夫妻ですが、元通りの復元よりも、継承を第一とする石獅子の精神に魅かれると話します。

若山大地さん「前のものと全く同じものと同じものを作ろうという風にする、必要がないというかその無理の無さの方がストンと自分たちの(腑に)落ちるところがある。私たちの暮らしに近い、だから修整もモルタルでしたりとか今のもの(材料)でやる」

若山恵里さん「集落が大きくなっていくごとに、集落の皆さんが恩恵を受けられるように場所も変えていく臨機応変さ」「いまのシーサー文化の柔軟さがそこにある「

いまや様々な材料や作り方で豊かな表情や表現のシーサーが生まれています。そのルーツとなった石獅子は顔が欠けても、由来が分からなくなっても、変わらず故郷を守り続けているのです。

今回ご紹介した若山さんご夫妻は、今度の日曜日11日にこちらもユニークな石獅子が数多く残る、宜野湾の喜友名地域をめぐるフィールドワークを桜坂劇場市民大学の中で行います。

出版された本も合わせて興味があるという方は、ぜひスタジオde-jin(でーじん)のブログやフェイスブックをご覧下さい。