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78年前8月アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」に乗船していた3人の遺影が19日、対馬丸記念館に新たに追加されました。

1944年8月22日太平洋戦争末期、学童疎開船「対馬丸」は那覇港から疎開先の九州に向かう途中鹿児島県の悪石島近くでアメリカ海軍の潜水艦に攻撃され沈没しました。この攻撃で対馬丸に乗船していた800人近くの子どもたちを含む1484人が犠牲になりました。

19日新たに追加されたのは一般で乗船した大田セツ子さん(50歳)と息子の有孝ちゃん(5歳)そして学童の眞喜志健一さん(7歳)の遺影です。

遺影は親族から提供されたものでこれで記念館に祀られた遺影は404人となりました。

対馬丸記念館学芸員堀切香鈴さんは「(沈没から)時間がどんなに経っても、この人たちが生きていた事実は変わらないわけで、それを伝えるための一つが遺影という形だと私は思っているので、それが追加されたということは我々が記念館で見学をして、学んでいく知っていくなかでも凄く重要なことではないかと考えてます」と話します。

対馬丸の沈没から78年。22日に予定されている慰霊祭は新型コロナの感染拡大の影響により記念館の職員のみで執り行うということです。