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万国津梁の邦の実態のひとつと言えそうです。南城市の古墓群に納骨されている人骨がヨーロッパや朝鮮半島からの系譜であることが研究者の調査でわかりました。
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム松下孝幸館長は「異国から人が来たことは間違いない。異国から人が来ただけども沖縄の人は異国の人と分かっているけども排除していない、その人たちと一緒に血縁共同体を作って一つの門中を作る」と話しました。
南城市玉城字富里にあった神座原古墓群は開発に伴い取り壊され中の人骨78体は現在、2つの納骨堂に納められています。その人骨78体のうちの3体は石厨子に納められ地域共通の祖先として祀れています。
人骨を調査した土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下孝幸館長は、石厨子は大清康煕四十五年、1706年に製作されたもので人骨は300年余り前に再埋葬された成人男性だということです。
3体のDNAを調べたところ1体は沖縄人を含む日本人で、もう1体は西ヨーロッパか中央アジアから、残る1体は朝鮮半島からそれぞれ母系の系譜が辿れることがわかりました。
松下館長は3体ともおよそ100年、3世代の移り変わりが見られると分析しています。その上で「沖縄の人々は異国から来た人を拒否したり排除することなく受け入れ新たな家族を作り地域共同体を作ってきた」と「万国津梁の邦」の文化を形成していたという見解を示しました。