那覇三大祭りのひとつで、毎年県内外の多くの人から親しまれていた「那覇ハーリー」が今年も中止となりました。3年連続で開催できない状況に熱い気持ちをもってハーリーに取り組んできた関係者は、今何を思うのか。胸の内を聞きました。
那覇爬龍船振興会 仲本興平(なかもと・こうへい)監事「3年連続の中止というのは、昭和50年にハーリーが復活して初めてのことです。爬龍船振興会としてもとても残念です」
新型コロナの感染予防のために余儀なくされた3年連続中止という決定に関係者は肩を落としています。
那覇ハーリーは毎年ゴールデンウィークの時期にあわせて開催され、地元の有志はもちろん、市内の中学生や県内の企業も競漕に参加して大会を盛り上げます。例年20万人余りが訪れていました。
おととしと去年の2年連続で中止になっていて、ことしの開催に期待が集まっていましたが、、、、、
城間幹子那覇市長「健康と安全を第一に考え、このような苦渋の決断となりました」
今年も願いはかないませんでした。本来なら那覇ハーリー開催前の安全祈願を行う拝所での御願も、おととしからは中止の報告をするのみになっています。
那覇ハーリーの運営に携わる那覇爬龍船振興会の照屋昇憲(てるや・しょうけん)事務局長も開催を楽しみにしていたひとりです。
那覇爬龍船振興会 照屋昇憲事務局長「直接会館に来て残念がる姿を見るのが一番悲しいけど、くやしいかなってところがある」
照屋さんが館長を務める那覇ハーリー会館には、実際に競漕で使われる爬龍船が保管されていました。3年前の大会で使われて以来、海に浮かべられることをずっと待っている姿はどこか悲しげに映ります。
航海の安全や豊漁を願うハーリーの歴史は600年以上とも言われています。長い歴史の中「琉球処分」や「沖縄戦」といった苦難に負けることなく受け継がれてきました。
那覇爬龍船振興会 照屋昇憲事務局長「中止というのは一連の文化の継承ができなくなる、これが続くとだんだん、どんなだったかなということで、若い人たちがわからなくなるということもあって」
また、那覇から少し離れた糸満市の豆腐店にも、 那覇ハーリーの中止を悲しむ人がいました。
宇那志豆腐店 玉城亨(たましろ・あきら)さん「那覇ハーリーてやっぱ大切な存在だったので、残念ですね」
宇那志豆腐店の玉城亨(たましろ・あきら)さんは、糸満ハーレーに何度も出場するベテランの漕ぎ手です。会社が小禄に新しい店舗を出したタイミングで、那覇ハーリーに出ることを提案しました。
宇那志豆腐店 玉城亨(たましろ・あきら)さん「出るからには優勝しようぜっていう、那覇ハーリーにお豆腐屋さんが出るのって珍しいと思っていて、大どんでん返しというか、まさか豆腐屋さんが決勝まで行くなんて、そこを狙っていて、だから出るなら優勝しようぜって、みんなには言っていましたね」
週に2回、仕事の合間を縫って練習に取り組んだ結果、初出場で準優勝という快挙を成し遂げました。
工場長「あんなに大勢の人数でひとつの船をこいで達成感ある感じが1番思い出に残っています」
配送スタッフ「女性と男性がハーリーをこぐっていうこともなかったので、めっちゃ仲はふかまりましたね。みんな力を合わせて一緒にやるっていうことでものすごい絆が深まりました」
受け継がれてきたハーリー文化を絶やさないよう新たな動きも出ています。
那覇爬龍船振興会 照屋昇憲事務局長「若い人たちがわからなくなるということもあってぜひ継承したいために今回は代替案として地バーリーを開催しようかなということを考えております」
那覇爬龍船振興会ではことし、およそ60年ぶりとなるの取り組みを計画しました。地バーリーは戦後にハーリーが行えなかったときに先人たちが考案した継承の形で、陸地で爬龍船に乗って地域を周るものです。
例年、那覇大綱引きの際に1隻のみのものを見ることができますが、3つの船が地上で並ぶのは1964年以来、およそ60年ぶり、どうにかしてハーリー文化を残そうとした先人に倣って企画されました。
宇那志豆腐店 玉城亨(たましろ・あきら)さん「来年こそはリベンジさせてください」
那覇爬龍船振興会 仲本興平(なかもと・こうへい)監事「あらゆる形を検討しながらしっかり開催できるように準備をして臨みたいなと思っております」
那覇爬龍船振興会 照屋昇憲事務局長「青年たちが、中学生また一般の方が、精いっぱい、ヌチかじりというんですけど精一杯こいでやる姿というのは感動をあたえますね。これが小さいときからずっと忘れられなくてぜひまた開催したいというのが思いです」
日に日に強くなるハーリーじょーぐーたちの思い。むしろより強くなっていて、来年またエークで漕ぎだすその時を待ち構え、静かに闘志を燃やしています。