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国会で沖縄の過重な基地負担を訴え続け76歳で亡くなった前衆議院議員・照屋寛徳さんの告別式が4月18日、うるま市で執り行われました。

太平洋戦争末期の1945年にサイパンの捕虜収容所で生まれた照屋寛徳さんは、県議や参院議員を経て、2003年の衆議院選挙で初当選を果たし2021年10月に政界を引退するまで6期務めました。

関係者によりますと照屋さんは胃がんを患い療養していましたが、4月15日に西原町の病院で亡くなりました。4月18日、うるま市で執り行われた告別式では息子で県議の大河さんが父親へのこれまでの支援について感謝を伝えました。照屋大河県議は「改憲に抗い不戦と護憲を貫く、国会内外の活動を本当に多くの皆様に支えていただいたことを改めて家族を代表して、お礼申し上げます」と述べしました。

式には、玉城知事や稲嶺元知事など多くの人が参列し照屋さんとの別れを惜しみました。玉城知事は「寛徳さんが残していただいた足跡を我々もしっかりと踏みしめながらこれからも基地のない平和な沖縄をめざすという多くの県民の思いをしっかり実行・実現できるようにがんばっていきます。」と述べました。

戦後の沖縄を見つめ国会の場で過重な基地負担を訴え護憲を貫いた照屋寛徳さんのご冥福をお祈りいたします。

照屋寛徳さんの告別式 しめやかに