ある日突然やってくる「地震と津波」に冷静に対応できるようになるには何ができるのか、過去の教訓を生かし、身近なところから始められる防災を一つひとつ考え、継続していくことが何よりの近道と言えそうです。
震災から11年。遠く離れた東北の地に鎮魂の思いを乗せた三線の音色が響きました。
福島県南相馬市から沖縄に避難してきた佐藤基繕さん「自分が三線を通していやされたというのがあるので、また自分が先制から教えていただいた歌を歌うことで、聴く人が少しでも癒していただければ」
東日本大震災では、およそ2万2000人の犠牲者が出ました。甚大な被害からの復興への道のりは長く、今なおふるさとを離れ避難生活を余儀なくされている人は4万人もいます。
安全に絶対はなく、沖縄でも地震と津波に見舞われる可能性が指摘されています。県の試算では、琉球海溝や沖縄トラフなどで最大級の地震が発生した場合、1m以上浸水する地域が県全体の10.5%に広がると分析されています。
忘れてはならない震災の経験があります。「橋が全壊、護岸でも決壊、全家屋浸水し、生活用品、家畜等が流出、消失した」今から62年前の1960年5月24日の「チリ津波」です。1万7000キロ離れた地球の真裏で起きた地震による津波が日本の太平洋沿岸を襲い沖縄にも到達しました。本島の東海岸から西海岸まで北部を中心に被害が出て、名護市真喜屋では、80代と70代、それに10代の女性3人が津波にさらわれ、亡くなりました。
島袋武信さん「(その時は)寝てた。朝の5時くらいだったかな。朝だったはず」「何名かが「津波と」言って歩いてきた。出て行ったらこの辺まで来ているから」
津波の爪痕を記録し続けた人がいます。島袋武信さん。当時、24歳でした。その時持っていたカメラで撮った6枚の写真が今も残っています。建物の前の道が浸水し、多くの住民が外に出て、あたりが騒然としていた様子が鮮明に映し出されていました。
島袋武信さん「津波が回ってきてこっちまで来た人間は逃げていくわけ、みんな上に上がる人もいるしお家の上に(高台に)」「屋根に上がるしか手段がない。津波が来ているからまさかと思った」
島袋さんは「60年以上が過ぎて津波のことを知っている人がほとんどいない。被害を風化させず伝え続けてなければならない」と話します。
まさか!!という事態に陥った出来事がありました。南太平洋トンガで発生した海底火山の噴火です。1月16日未明、沖縄県の沿岸に津波注意報が発表され、多くの人が高台に避難しました。市役所や町役場では車で逃げてきた人が殺到し、駐車場は空きがない状態になりました。そのまま車中泊するなど津波注意報が解除されるまで不安な一日を過ごすことになりました。
鹿児島でも車による避難が相次いだことで渋滞が相次ぎました。国や県の計画では津波からの避難について「原則徒歩」と定められています。
琉球大学 神谷大介准教授「車で一斉に避難すると、もちろん大渋滞起こして渋滞どころじゃなくてロックしてしまって詰まって全く動かないという現象が起こり得る」「結局は歩くより遅い状況になるので車で避難しない方が良いというのが一つ」「住宅生活道路の部分、ブロック塀が倒れているとそこから一切方向転換できなくなってしまうのでそういうリスクも車の避難の場合はある」
とっさに車で遠くの高いところへと考えがちですが、「渋滞に巻き込まれる」「被害が出た道は通れなくなる」といったリスクを考えないといけません。その一方で、どうしても車が必要という場合もあります。
琉球大学 神谷大介准教授「原則というのは原則であって全く使っていけないわけではない」「要介護、要支援認定を受けている方、乳幼児などを抱えてなかなか大変な方、そういう人たちが車で避難できるように歩いて避難しましょう」
なるべく車の数を減らすことが重要だと言います。そのため、近所同士で「相乗り」する。相手を決めるなど、万が一に備えたルール作りが求められます。
琉球大学 神谷大介准教授「1人1台じゃなくて4軒で1台などできるだけ車の数を減らす、何台車を出して、どこに避難するか市町村の中で共有する、そうしないとみんなが同じ場所に行こうとしたら入れなくなる恐れがある」
国がまとめたアンケートでは、東日本大震災の時、避難した人の51.2%が車で避難していたことが分かりました。現実的に車で避難せざるを得ない地域があることを踏まえ、2012年の防災基本計画から、例外として車で避難できることが盛り込まれています。
災害への備えとして、ハザードマップを見て、避難先を確認してみることが理解につながります。
琉球大学 神谷大介准教授「地震があってから何分くらいで津波が来る場所に自分は住んでいるんだっていうことを認識しておく。(自分は歩いて、もしくは走って)津波の浸水想定区域外に行くために何分かかるのか?ということを知っておく、そうすると自分は揺れが収まってから歩いて避難しても十分間に合うよっていう人はぜひ歩いて避難してください」
ある日突然やってくる地震と津波に冷静に対応できるようになるには何ができるのか、過去の教訓を生かし、身近なところから始められる防災を一つひとつ考え、継続していくことが何よりの近道と言えそうです。
災害はいつか絶対に来るということを考えておく必要がありそうですね。ただ、防災と言っても何をどうすればいいのか、突き詰めて考えていくといろいろやるべきことが出てくるので、どこから始めるといいのか難しさも感じますよね。
寺崎アナウンサー「そうなんです。」「防災のために何かをするというのは、非常にプレッシャーを感じる面もあって、平たく言うと「しんどくなってしまう」んですよね。今回取材に応じてくれた地震や水害、地域防災に詳しい琉球大学の神谷教授もその点を懸念していて、「防災をいかに防災にしないか」ということが重要なんだと話しています」
「防災を防災にしない」
一体、どういうことですか?
寺崎アナウンサー「どういうことかと言うと「身近なもの・日々の習慣」を防災につなげていこうということなんです。そういった点で沖縄は他県と比べてアドバンテージがあるといいます」「1つ目は「食料を備蓄している世帯が比較的多いということなんです」「その代表例が「ツナ缶」や「ポーク缶」です」
確かに!備蓄してあります。
寺崎アナウンサー「こういったものでも十分防災の役に立っているというわけなんです。「ローリングストック」と呼ばれる備蓄方法で古いものから使いながら新しいものを補充していくというやり方なんです」
「沖縄は海に囲まれていて、陸路で物資を輸送する手段がなく、空港や港湾が地震や津波で被害を受けると復旧まで全ての輸送手段が絶たれるため、7日間の備蓄が必要だと言われています。」「そのため、水や薬、携帯トイレなども買い足しておくほか、家族のみんながすぐに手に取れるところはどこなのかなど話し合うというのもいいかもしれません」
「家庭・個人」の面での防災を紹介しましたが、今度は「地域」に目を向けてみます。
寺崎アナウンサー「2つ目の沖縄のアドバンテージは「地縁にもとづく集まりがある」ということなんです」「完全に隣近所ではなくて、「青年会」「エイサー」「地域の行事」など地域ごとに集まる場を上手く活用しようという考え方です」
「見知った人どうし、声をかけたり、かけられたりという関係を切らさないようにするということが重要で、地域の交流が活発であれば、他の人の助けを必要とする「要介護者」がどこにいるのかなど把握できるという利点があげられます」
みんなが集まった時に、「あの人は施設に入った」とか、「この人は夫婦だけど平日昼は一人が働きに出ている」とか情報共有がいざという時に有効だというわけですね。身近なものを上手く防災につなげられれば、それだけ、「災害に備えないといけない」というプレッシャーも軽くできそうですね。
寺崎アナウンサー「学校だと、給食で「防災食」を食べてみるとか、部活動の練習でランニングをする時に地域の避難ルートを走ってみるといったことも有効だと神谷先生は話していました」
災害はいつか必ず来るという考えのもと、いかに備えるかということで、物の備えだけでなく考えるだけでも意味があります。自分にあった防災を考えていきましょう。