1970年代のお誕生会。みんなが嬉しそうに見つめているのはケーキです。一方こちらは、人生の晴れ舞台・結婚式。新郎・新婦の前には、ウエディングケーキが置かれています。米軍統治時代の影響もあってか、祝いの席でケーキを食べる風習は、沖縄の人々に急速に広がっていきました。
キングスベーカリー 大城良恒さん「沖縄でケーキ、自分は食べたこともないし、あの当時は。だからケーキ屋さんというのも聞いたことがないしね、だからやろうと思って」
豊見城市の団地通りにある洋菓子の店「キングスベーカリー」。見落としてしまいそうなほどに控えめな佇まいですが、ここでしか食べられない味を求めて、ひっきりなしに客が訪れます。
接客やりとり店員「はーい、こちら。お誕生日用ですか?」男性「いいえ違います。自分で食べるやつ」
看板商品は、シフォンケーキ。きめの細かいスポンジの食感が特徴です。他のデコレーションケーキにも、このシフォン生地が使われていて、自信のほどが伺えます。
常連客「(孫たちも)ここのケーキじゃないと、誕生ケーキも。それからクリスマス、そこじゃないとダメって言って、いつもここで買うんです」
大量に買い込んでいたのは、近所の保育園の園長先生。
近隣の保育園の園長「開園して43年になるんですけど、ずっとその間、利用させてもらっていて、やわらかくっておいしいということで」
キングスベーカリーは、大城良恒さんが、1970年に創業しました。現在は、娘婿の田代さんに2代目を任せ、ともに変わらぬ味を作り続けています。店の味のルーツは、沖縄から遠く離れたハワイにありました。大城さんの家では、戦争で身体を壊した父親にかわって、母親がひとりで7人の子どもを養わなければならず、生活は困窮していました。
キングスベーカリー 大城良恒さん「もう忘れられない、主食が芋でしたよ。もう小学校の頃、5、6年まで。弁当はね、芋2個。ハンカチに包んで、そのまま。これが昼食でしたよ」
そうしたなか、戦前にハワイに移民していた叔母が、沖縄の惨状を見かねて、19歳だった大城さんをハワイへ呼び寄せたのです。今から60年前のことでした。
キングスベーカリー 大城良恒さん「(ハワイは)もうとにかく、パラダイスの国として思ってましたからね」
復帰前、ハワイと沖縄では、賃金に大きな差がありました。
キングスベーカリー 大城良恒さん「7日間働いたら、もう既に1ヶ月分の給料あったんですよ。すごいこの沖縄とのこの賃金の差。すごく感じましたよ」
ホノルルの人気ケーキ店でアルバイトを始めた時に、そこで目にした光景が、大城さんのその後の人生を大きく変えることになりました。
キングスベーカリー 大城良恒さん「お客さんが並んでるんですよ。この状況を見てると、儲かっているんだなと。自分もまたケーキ食べたことも全くなくて、芋ばっかり食べてますから、まず自分はこの仕事どんなかなと」
「沖縄でケーキ屋をひらく」と意を決し、開業資金を貯めるため、昼も夜も働きました。さらに、学費を工面して、ハワイにある洋菓子の専門学校にも通います。
キングスベーカリー 大城良恒さん「お金を稼がなきゃいけない、そういうことで、もう夜も昼も本当に周囲が見えないぐらいだから自分も8年間いたんだけど、自分が何歳になったか本当にわからないですよ、帰ってきて自分も29歳、それぐらいあったんか、そんな感じでしたよ」
本土復帰の2年前にあたる1970年、ふるさと豊見城市に店を構え、「キングスベーカリー」と名づけました。実はこの名前、ハワイのバイト先と同じなんです。厨房には、現地で買った秤など調理機器や道具が、今も現役で活躍しています。
キングスベーカリー 大城良恒さん「すごく重いんですよ、だけど、これ30個くらい持ってきて」
こちらは復帰前に1000ドルで買ったオーブン。50年間、故障知らずだそうです。
キングスベーカリー 大城良恒さん「1000ドルで買ったこのオーブンが、1,2年後には350ドルになっているもんですから、そのドルの価値がだいぶ下がったんですよ。だからあのときに全部ドル持っていたら、自分はおそらくこの商売はできていなかったと思う」
ところが、ケーキは全く売れず、3年間赤字が続きます。
キングスベーカリー 大城良恒さん「これではいかんなと思ってですね、考えをちょっと変えてみようということでね。ふと思いついたのが、団地のそばで、このケーキを焼く匂い、それをまき散らそうというその思い入れがぱっと目覚めてね」
これまで、別の場所に構えていたオーブンを、店の中に移すと…香ばしい匂いに誘われて、客が増えだしました。
キングスベーカリー 大城良恒さん「ハワイ仕込みということで、口から口へと伝わっていって、子どもさんが買いに来るときも、丸描いてちょんのケーキくださいだったんですよ」
地域に愛されてきたキングスベーカリー。店内には、お客さんとの絆を感じさせてくれるものがありました。出産祝いの命名札です。
キングスベーカリー 大城良恒さん「わー自分の孫だとかさ。そういう思い出があるもんですから、まずこれだけは残そうということで、おいてあるんでけどね」「ハワイと違う点がね、もう沖縄では祝い事が多いんですよ。もちろん合格発表でしょ。それから、生年、結婚祝い、新築祝い、もういろんな行事があってね。本当に沖縄ね、このケーキ屋さんの天国だと思いましたよ、あの当時は。」
創業からほどなくしてむかえた本土復帰を、大城さんはどう受け止めていたのでしょうか。
キングスベーカリー 大城良恒さん「色んな影響ありましたけど、自分としては、自分の商売、初めてですから、必死なんですよ、もうこれに。だから、日本復帰が良かったのか悪かったのか、あまり意識せず、自分の今の商売、ケーキ屋をどういうふうにいかしていこうか、これが頭いっぱいでしたからね」
豊かさを求めて必死に生きていた青年にとって、本土復帰は、あくまで通過点にすぎませんでした。ハワイ仕込みのシフォンケーキに託したものは、子どもたちの幸せな未来です。
キングスベーカリー 大城良恒さん「もう沖縄であんな苦しい生活はもう、本当に自分はね、自分は結婚したらね子供たちにこんな思いさせたくないなという気持ちで、すごく強かったんですよ。これが一番のやりがいじゃないかなと」