仲村一夫さんへの質問「実際に今沖縄は自立できていると思いますか?」「当時の沖縄の若者というのは、本土に行くことに対して憧れはありましたか?」
仲村一夫さん「なぜ50年も今のままですかと。ひとつひとつ丁寧に点検をしながら、いくべきだと思います。生かせばもっと素晴らしい県になるんじゃないかと、頑張ってください」
街の人へ質問「復帰」知っていますか?
60代男性「ちゃんと復帰できたんだなという、ポジティブなイメージがあるね」
高校生「5月15日ですか?授業で習ったりはします。あまり身近ではないです」
50代男性「紅白饅頭を、学校でもらっておいしく食べたというのは覚えているけど」
50代女性「親とか近所の人見てて、なんとなく不安と希望両方あったと思いますよ」
小学生「沖縄が日本に復帰して、沖縄県になったのは、なんか知ってる気がする」
中学生「ニュースとかでみたことはあります」「私のおじいちゃんとかおばあちゃんは、戦後とかに(生まれて)、しかも復帰も覚えているかいないかぐらいのタイミングの人たちなので、聞くということもあんまりないかなという感じです」
若い世代には、あまりピンと来ていない「沖縄の本土復帰」。忘れてはならない歴史の転換点ともいえる1972年の本土復帰から50年が過ぎようとしている現在、140万人の県民のうち、“復帰を経験していない人”は 87万7000人と、人口のおよそ6割を占めています。本土復帰当時の、記憶の風化が課題となっているのです。
そんな時代の波が、日々、ニュースを伝えるQABにも押し寄せています。報道フロアでは、63人中57人が復帰後世代、もしくは、県外出身者なのです。
「復帰50の物語」をスタートさせる前に、私たちも1から、いやゼロから、学び直す必要があると思い、勉強会を開きました。講師として招いたのは、復帰のとき、すでに沖縄の報道に携わっていたQABの元社長・仲村一夫さんです。復帰当時は30歳でした。
仲村一夫さん「その屋良主席の願いは、平和憲法のもとに帰って、権利が保障された、本土並みの暮らしがしたい。子どもたちにもそういう暮らしをさせたいという願いがあったようで、素朴な民族感情ではなかったでしょう」
アメリカ世からヤマト世へ・・・主権の回復や自由を求めて県民が声をあげた「本土並み」の復帰。実際には、沖縄の思いが国に届かなかったこともあり、嬉しさと不満が入り交じる複雑な感情を抱えている人が多くいたのも事実です。
仲村一夫さん「復帰当日5月15日ですが、朝からものすごい豪雨でした。私は復帰記念式典が行われる那覇市民会館の前で、朝の上りのニュースを担当させてもらったわけですけど、その夕方には、隣の与儀公園での県民大会に、ハチマキをしめて参加したという経験もあります」
本土復帰を機に、通貨や行政など暮らしのあらゆる面で変化が生じましたが、復帰前と後で、大きな混乱が生じたかというと・・・そうでもなかったと仲村さんは当時の記憶をつむぎだしてくれました。
仲村一夫さん「ウチナーンチュはというのは、そういう面では慣れやすいというか、あんまりショックはなかったと思いますね。暮らしの変わり方はあるんですけれど、特に復帰したから何かが大きく変わったというのはないと思います」
激動の中を懸命に生き抜いてきた人たちが、今の沖縄の礎を築き上げてきたことに改めて気づかされました。変わったもの、そうでないもの・・・人々やモノが語る記憶に触れて、歴史を振り返りながら、半世紀をたどった沖縄の足跡をたどりたい。そうして走りだしたのが、「復帰50の物語」です。節目となる5月15日まで4カ月、「詳しく知らない本土復帰」に目を背けることなく丁寧な取材を積み重ねた放送を続けていきたいと思います。