アメリカの統治下から復帰したことでがらりと変わった人々の暮らしぶりを探ります。今と比べて何がどう違ったのか…、物言わぬ「コレクション品」が当時の生活の息吹を感じさせてくれました。
翁長良明さん「本土といっしょになったら、沖縄が通用するのか、取り残されますよね、そういう不安はありました」
復帰したときの複雑な感情を話してくれたのは、那覇市に住む翁長良明(おなが・よしあき)さんです。古銭や骨董品を中心に60年以上沖縄にまつわるものの収集をしています。コレクションを通して、沖縄が日本から切り離された1945年から本土復帰した1972年まで27年間にわたるアメリカ統治と復帰で変化したものを見ていきます。
濱元晋一郎記者「沖縄が日本に復帰してどんな変化があったのか、町の人に聞いていきます」
街録、復帰を知る県民「復帰前までは沖縄は外国だったんですよ、だから(本土に行くにも)パスポートが必要」県民「いとこなんですけど(本土の)大学から帰ってきたら1年(本土に)行かなかった、パスポートがもらえなくて」
復帰前の変化で多くの人の記憶に刻み込まれていたのがパスポートです。アメリカの施政権下にあった沖縄では、日本本土と行き来をするために必要なものでした。
翁長良明さん「右は琉球政府、左が古い」「リュウキュウアイランドと書いてある、これ偽造防止ですよ」
アメリカの国鳥であるハクトウワシの大きなマーク、発給元の国名も日本ではなく、漢字で米国民政府や亜米利加合衆国政府と表記されていました。コレクターの翁長さんは復帰当時23歳で、料理の腕をみがくため本土で修行を積みました。
翁長良明さん「(日本に行くためには)パスポートをとって、飛行機じゃないんですよ、ほとんど船でだいたい2日以上かかった」
県外に出る時の必需品なのに、みんなが平等に手に入れることができるものではありませんでした。
翁長良明さん「アメリカに反対する人もいっぱいいるし、それで(パスポートを)規制したんじゃないですかね」「例えば反米のストライキやりますよね、全部写真とられてたわけ」「同級生の父親は(パスポートを)とれなかったと聞いたことがあります」
大学進学や出稼ぎ・就職など、様々な思いを胸に沖縄を旅立つウチナーンチュを支えたパスポートは、復帰した1972年にその役目を終えました。
街録、復帰を知る県民「昔は(通貨が)ドルですよね、(Qお買い物とかも?)そうです」県民「25セントあればそば食べて映画も見れましたかね、ずいぶんあそべましたよ」
終戦後、通貨経済が復活した1946年から1958年まで、アメリカ軍が発行した「B型軍票」という通貨が流通していて、当時はB円と呼ばれていました。紙幣の真ん中に大きくアルファベットのBが印字されています。金額によって紙幣の大きさも違っていました。それと、中央やまわりに書かれたマークのみが違う、A円という通貨も混在していて、主にアメリカ軍人が使用していたということです。
翁長良明さん「B円に対してA円というのもあるんですよ、」「これがB円、ここはA、全く同じ、最初はA円は基地の中で使っていた」
その後、ドルに切り替わります。ドルの価値はいまとは大きく違っていたといいます。
翁長良明さん「中学生になったからといって、1ドル1回だけもらったことがある、1ドルが大金でしたよ、今100円よね、えらい違い」「カメラなんか55ドル、1か月分の給料ですよ。車が1200ドル、1000ドルで小さい家造るくらいだから」
通貨の交換は沖縄が日本に復帰した5月15日にも行われ、その際はドルから「円」に変わります。翁長さんのコレクションの中には、通貨交換の記録がのこる銀行の帳簿もありました。40ドルを12200円に交換したと記されていて、交換レートが1ドル305円だったことが分かります。
27年の間に通貨は7回も交換されました。生活から切り離すことの出来ないお金という面からも、沖縄がアメリカと日本のはざまで何度も翻弄されていたことが分かります。
街録、復帰を知る県民「朝起きたら(右側通行に)変わっていた」県民「外国並みの右側通行だったわけでしょ、それが1日にしてひっくり返って左側通行になって」
街並みも、道路の風景も大きく変化しました。復帰から6年後の1978年7月30日から今と同じ左側通行になります。左側通行をドライバーに知ってもらおうと、様々なPRがされていたことが当時の資料からも分かります。さらに、翁長さんの写真には、今とは逆向きに走る車や、730当日に交通誘導をする警察官、道路を見物する多くの人の姿がありました。
翁長良明さん「(左側通行になって)翌日の個とよく覚えているけど、何回も相手コースに入った。間違えて。免許取って次の日の位緊張しましたよ」
当時は慣れない左側通行に戸惑う人も多く、事故が多かったといいます。
翁長良明さん「事故が多かったですよ、バスだけで40件以上じゃなかったかとおもいますよ」
世界でもあまり例のない通行の向きの変更は、アメリカ世(ゆー)とヤマト世(ゆー)を経験した沖縄ならではのいびつな歴史といえます。復帰前と復帰後、どちらの時代も知っている翁長さんに復帰への思いを聞いてみました。
翁長良明さん「復帰してよかった。万々歳ですよ、あの時なんでこんなに悩んだかなってくらいいまが良い、すべて便利でしょ、道もきれいになった、町もきれいになった、仕事もいっぱいある」
翁長さんは、コレクションを通して沖縄の歴史を伝え続けたいと意気込みます。
翁長良明さん「毎日がコレクションです、しぬまでだね、これが生きがい、一番楽しいのがコレクション」
さまざまな変化が生じた本土復帰から50年、うちなーんちゅとともに戦後からいままでを過ごしてきた貴重な資料の数々が、いまの当たり前が当たり前ではなかった復帰前の沖縄と当時の人たちの生活について教えてくれました。