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沖縄が1972年に本土に復帰してから今年で50年を迎えます。QABでは「復帰50の物語」と題して復帰を様々な角度から考えていく企画を毎週放送する予定です。初回のきょうは復帰そのものを見つめ直します。

「日本祖国復帰闘争碑」が建立されている辺戸岬。1972年の本土復帰から50年となる年が幕を開けました。復帰から50年、沖縄は何が変わり、何が変わっていないのか。かつての沖縄の人々が求めた復帰とはどういうものだったのでしょうか。

1945年の沖縄戦で、日本唯一の地上戦の地となり多くの県民の命が奪われ、焦土と化した沖縄。終戦後、アメリカの施政権下になり道路は今とは逆の右側通行、通貨も円ではなくドルという生活様式。

また多くのアメリカ軍基地がおかれ、沖縄の人々は土地を奪われたほかアメリカ側の制約により本当の意味での「自治」とは程遠い状況に置かれました。沖縄の人々は祖国・日本への復帰を求めて、声をあげました。

復帰50の物語 第1話「見つめ直す原点」

その後日米間で沖縄の復帰の議論が行われるようになり当時の屋良朝苗主席は、沖縄が望む復帰の形をしたためた「建議書」を国会に届けようと東京に向かいました。

しかし羽田空港に降り立つ直前、アメリカ軍基地の固定化を前提とした「沖縄返還協定」が国会で強行採決され、基地の撤去を願った132ページにおよぶ復帰への民意はないがしろにされました。

そして1972年の5月15日。本土復帰の日を迎え、東京と沖縄の2カ所で、式典が行われました。県庁舎前では「沖縄県庁」と書かれた表札の除幕式と開庁式が行われ新生沖縄県の体制が整えられました。

あれから50年。

玉城知事「本土復帰以降これまで1次を10年というスパンで5次50年に渡り沖縄振興開発計画および沖縄振興計画などによって社会資本整備は着実に進んでまいりました」「離島の条件不利性、米軍基地問題など沖縄の特殊事情から派生する固有の課題に加え、子どもの貧困の問題、雇用の非正規率の多さなどの質の改善など重要性を増した課題や新たに生じてきた課題なども明らかになっています」

復帰から50年、平和な島を願う県民の思いがなかなか聞き入れられない状況を憂いている玉城知事。本土との間に立ちはだかる壁を乗り越えるべくかつての沖縄の人々の思いが込められた屋良建議書を踏まえ新たな建議や宣言を作成する考えを示しています。

復帰50の物語 第1話「見つめ直す原点」

玉城知事「屋良建議書以降、復帰50年を迎えるわけですから、今なお存在する例えば米軍占有施設区域が集中しているという問題、さらには辺野古の新基地建設問題など、基地のない平和な島沖縄を目指している建議書の方向と現状とがどのように乖離しているのかということについて、これは現代的な問題としてクローズアップされるべき問題であろうと思っている」

インフラの整備が進み観光地として国内のみならず、海外からも人気の高い沖縄。世界遺産に登録されるなど世界にも認められている豊かな自然、独特な歴史・文化を持ちます。

ただ復帰とともに「基地のない沖縄」を人々が求めながらも今もなお過重な基地負担が続く現状も横たわったままです。節目の今年、復帰をめぐる様々な出来事を通し復帰を見つめなおします。