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火災前の首里城。正殿の石段の両側に設置されていたのが、大龍柱です。首里城が焼失してから2年、復元に向けた作業が進む中、「大龍柱」の復元の向きをめぐって、議論が活発化しています。

県立芸術大学名誉教授 安里進さん「向き合っているというのは間違いではない。」

前回の復元同様、絵図に基づいた互いに向き合う形の「相対向き」か。それとも、新資料に後押しされた、御庭に向く形の「正面向き」にすべきか。

琉球大学名誉教授 西村貞雄さん「私は龍柱を復元した立場からの実感として、やっぱり正面向きだと」

火災から2年 首里城の復元 龍柱の向きで〝分かれる見解〝

本来の向きは「正面向き」との主張を続けているひとり、西村貞雄さんです。平成の首里城復元の際に、大龍柱をはじめ、正殿部分の全て彫刻の復元製作を担当しました。アトリエでひときわ目をひく龍柱は当時、西村さんが実際に製作した原寸大の模型です。西村さんは、龍柱の構造や造形の観点から、「正面向き」の説を主張しています。

琉球大学名誉教授 西村貞雄さん「欄干は、龍が這ってくるようなイメージがあるんですよ、みたてているんですよね。欄干は龍が這ってきて、ここを向き合う。龍が這ってきて、正面をむく。こっちも、龍頭棟飾りも建物の中から出てきて、首から棟を咬む。胴体は建物の中にあるように見せかけているんですね、暗示を与えている。1階の王様が座るところも、こういうふうに下から上に。左右から中心にむかう龍、中心から御庭にいく龍、ひとつの龍の流れがある。」

前回の復元では、「1712年頃再建され1925年に国指定された正殿の復元を原則」とし、鎌倉芳太郎が収集した「寸法記」が重要な根拠資料として位置付けられました。平成の復元の大龍柱の向きは、この寸法記に基づき、「相対向き」となったのです。西村さんは、寸法記の絵図について、信ぴょう性に欠ける部分があると指摘します。

火災から2年 首里城の復元 龍柱の向きで〝分かれる見解〝

琉球大学名誉教授 西村貞雄さん「寸法記の絵図の場合大雑把なんです。私が考えるには、寸法記の絵図は、雰囲気とか位置関係とかは認められるけど、細部的な、細部の表現、形。そういうのはない。全然違っています。手の上げ下げがないし、宝珠もない。しかし、実際の遺物には、宝珠をもっているというのがあるんですね。もっと議論すべきだと思います。絵図とかで判断しても絶対解決しない。」

復元後も、大龍柱の向きについて、調査・研究を続けてきた西村さん。今年7月、国の技術検討委員会で取り上げられた新資料の存在に期待を寄せています。

国の技術検討委員会 高良倉吉 委員長「首里城を捉えた一番古い写真、最古の写真がこれです。情報が詰まっている。それを、この復元にいかしたい。」

火災から2年 首里城の復元 龍柱の向きで〝分かれる見解〝

復元に活用されることになったのは、1877年にフランス海軍の下士官が撮影した写真です。王国末期の首里城正殿を捉えた最も古い写真で、大龍柱の向きは、正面を向いていました。技術検討委員のひとりとして、新資料の検討を続けている安里進さん。大龍柱については、この写真が撮影された以前に、龍柱が大きく損傷、あるいは折れた可能性がみられると指摘します。

県立芸術大学名誉教授 安里進さん「ルヴェルテガの写真からひとつわかったのはですね、王国末期の大きな修理をした跡があるっていうことですね。それは修理をしたとか、欠けたりすると。石灰(いしばい)という石灰(せっかい)みたいなもので、塗って補強するんです。結構、白いんですね。これがルヴェルテガの写真で見ると、大きく修理をしている。こういうことがわかったので、ものから見て、あるいは写真から見て、やはり、向き合っているものを正面に変えた時に、 損傷したものでないかなと。」

そして、「向き」については、この写真だけでは、「相対向き」から「正面向き」に変更する根拠とはならないとしています。

県立芸術大学名誉教授 安里進さん「龍柱の向きについては、龍柱だけでじゃなくて、全体の復元をするうえで、この資料に基づいて復元をする。そうすると、寸法記とか尚家文書について、復元をすると、この時期の龍柱は、向き合っているという形になるわけです。その後に正面向いたのも正しい、その前に正面向いている時代もあった。その中のどの時代を復元するか、どれを選ぶか、文化財の復元の方法として、どれが最も妥当なのかということですね。今までのところ、向き合っているということで、妥当なんだというのが今のところの結論ですね。」

火災から2年 首里城の復元 龍柱の向きで〝分かれる見解〝

これに対して、近現代の琉球史の研究者は次のように指摘します。

神奈川大学教授 後多田敦 教授「向きの証拠として一番正しいのは、正しいと確定されたものは、ルヴェルトガの1877年正面向きで、それを否定する資料があるんだったらいいんですけど、ないのにそれを排除するというのは科学的ではないですよね。文化財の復元の起点を決めるというのは正論ですよね。ただ、平成の復元も1768年の寸法を参考にしていますが幅を持っているんですね。それを踏まえて、それに発展した形で研究成果を生かした形で、復元するというのが本来の姿で」